2022年9/27【578】very good!難易度3

美術の世界ってさっぱりわからない。

特に現代美術。
なんで便器にサインしただけで(マルセ・デュシャン)、缶詰の絵を描いただけで(アンディ・ウォーホル)、美術館にやうやうしく飾られチヤホヤされすんごい高値で取引されるのか。
わからなーーいっっ!

美術って、絵画って、ダ・ヴィンチとかベラスケスとかドラクロアとか、そういうのを指すんじゃないの?
違う?!

と、半分怒っている(いた)私である。

そんな私の素朴な疑問や怒り(簡単に儲けやがってずるい!)に本書は見事なまでに答えてくれたではないか。


…そうだったのか。

美術愛好家にも、私のようにそうではない一般人にも、『美術とは?』を考えるきっかけを、彼らは投げかけていたのか。
だから便器にサインしたり、缶詰の絵を仰々しく額に入れたりしたのか。

そうだったのか。
まんまとしてやられたり。



私が「これぞ絵画」と思っているのは主に西洋の宗教画や歴史画である。
だけど昔の一部の画家たちはずっと疑問に思っていたらしい。
天使なんていないよ、スラッとして豊満で優美な女ばかりじゃないよ、って。


やっと19世紀に入り、見たままの真実、太った女性や受け身ではない積極的な女性が描かれるようになる。
そのうちに写真が発明され、視覚的記録としての絵画ではなく抽象画への移行が起きる。

やがて第一次世界大戦が勃発し、政治や社会問題への怒りや幻滅を描き出すアーティストが登場しはじめる。

そして、現代アートである。

アートとは何か?
アート作品として認められる基準はなにか?

中身のわからない缶詰に、切断された絵画に、そんなものにはたして価値は存在するのか?
アートとは『気取っていてエリート主義で排他的』なハイカルチャーにすぎないのか?

そうやって疑問を投げかけたのがデュシャンやウォーホル、最近ではバンクシーなのだ。


マーク・クインの言葉でハッと気が付いた。

『科学は答えを探すが、アートは常に問いを探す』


マウリツィオ・カテランの言葉で納得させられた。

『アートで重要なのは説明ではない。可能性を開くことだ』


疑問に思ってもいい。
議論が起こってもかまわない。
「わからない」それでいい。

何事も白黒つけて解明する必要はない。
いろんな考え方を提示していろんな考え方を生み出す、そこから気付く、自分の中に隠されていた偏見や広がる新しい世界。


近代のアートはもはや絵画やオブジェに止まらず、パフォーマンスであったりある種の行為であったり鑑賞者参加型であったり、もうナニが何だかやったもの勝ち!意味をでっち上げたもの勝ち!な気がしないでもないが、それでも『世界で初めてのことをする』ということは、それがたとえどんなことであれ、なかなかになかなかなことではないだろうか。

そんなことを思い付く時点ですでにアーティスト。
凡人の私にはとうてい理解できない人や行為である。
けれど、それでいいのだ。


理解しなくていい。
なぜならそれがアートなのだから。


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