2021年11/25【489】Excellent! 難易度4

もし脳解剖学者が脳卒中を起こしたら。
わたしの脳は、わたし自身は、これから一体どうなるのか?


趣味で音楽をやっていると
「理屈(左脳)ではなく、心(右脳)で感じて演奏して」
なんて話をよく耳にする。
その度に疑問に思ってしまう。
心ってなに?
意識ってなに?
…嗚呼、面倒くさい左脳人間よ。

脳卒中により自身の左脳を損傷し、脳の機能が徐々に失われていく様を内側から眺められるという絶好の機会を得ることができた、脳解剖学者の著者。

50兆の細胞が完全に協調し維持していたはずの『わたし』が崩れゆく感覚。

全く連動しない自分の意思と身体への戸惑いと焦り。

薄れゆく自分と世界の境界線。
あらゆる認知能力から切り離され、宇宙と融合し一体となる悟りの感覚。
やがて神宿る右脳が生み出す、安らかな幸福感。

右脳と左脳にはこんなにも圧倒的な違いがあるのか。
右脳が作り出す世界とはこんなにも神秘的なのか。
ただだだ驚いた。


患者として生きるなか著者は、回復することに戸惑いすら覚えたという。
右脳優位の永遠の幸福感を捨てることに、どんな意味がある?
左脳による劣等感や嫌悪感といったマイナスの感情を取り戻すことに、何の意味がある?と。


私は『私もアナタも宇宙も同じただの原子の集合体』論の賛同派(?)なんだけれど、そして以前読んだ哲学書に「そんなアホなこと言うな!」なんて徹底的に論破され凹んだのだけど、やっぱりそうじゃないか。


違いはあるけれど、右脳も左脳もただの細胞。
夜に見る『夢』すらも脳に依存する。
どちらが優位に働くか、ただそれだけで『わたし』の感じ方は変わるのだ。

著者は気付いたという。
「わたしは細胞でできた命。細胞という生命体の集合体。
外界との関係なんてただの神経回路の産物にすぎない。
わたしというものは自分の『左脳』が作り出す想像の産物にすぎない!」(意訳)


本書の内容が真理だとは思わない。
けれど、脳解剖学者の著者が脳卒中を自ら体験し冷静に観察し、学者ゆえに『脳の可塑性』を信じ8年かけて回復し、博士としての立場から当時を振り返る言葉には、計り知れない重みがある。


脳卒中を起こした人。
先天的であれ後天的であれ左脳に異常が起こった人。
よだれを垂らして「あーうー」と言葉にならない言葉を発する人。
彼らは決して痴呆なのではない。
むしろ左脳を優位にしている私達よりも遥かに自分以外の『もの』と関わりを持ち、共感し、一体感や幸せを感じているのだ。


著者が脳卒中によって得た『新たな発見』は、
「ほんの一歩を踏み出せば、そこには心の平和がある。そこに近づくためには、いつも人を支配している左脳の声を黙らせるだけでいい」
ことだそうだ。

理性ではなく本能に従う。
「今ここ」に集中する。
それは『禅』や今流行りの『マインドフルネス』そのものである。


なぜ右脳がそのような働きをするのか。
もし損傷したのが右脳だったらどうなるのか。
その辺りは本書ではわからなかったので俄然興味が湧いてきた。


左脳を黙らせる。
雑念を取り払って「今ここ」を感じる。
きっとできるはず。
右脳は常に頭の中にあるのだから。

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