いつも不安で生きてきた

アラフィフみよちです



心の病みで真っ暗だった50年 


 

 

そこから一転

 

 

本質的な幸せを感じられる心を

取り戻すことが出来た


そんな私の過去のストーリー

を綴ったブログです









私は、離婚して今は高一の次男と2人で暮らしている。
19歳の娘、高三の息子は父のところで暮らしている。








離婚する時には、私は借金だらけだった。離婚したその人は、結婚する時に身一つで、私のアパートに転がり込んで私の貯金、車、すべてを自分の物にしていった。友達に騙されてブラックリストに載っているからと、私のクレカを使いまくった。そして私がブラックリストに載った。








そうこうしているうちに、私のすべてを自分の物にしたそのズルい人が、クリーンになっていた。家を買うことが出来たのだった…。気をよくしたそのズルい人はクレカをバンバン作り、バンバン使って返せなくなり債務整理をした。その債務整理の金額が我が家にとって大きな金額だった。結局、また私のクレカ頼みになった。






何のための債務整理なんだ(笑)









私は、そのころ、顕在意識と潜在意識、2つでひとりと言うことを知った。潜在意識って幼少期が鍵だと言う事も。私の潜在意識、すなわち幼少期のみよちちゃんはとってもボロボロで傷だらけだった。それなのに50年も放置していた。心の傷を手当てしていったら、ある日、リビングで新聞を読んでいるそのズルい人を見た瞬間…








【私、この人と死ぬまで一緒なんてイヤっ】ってハッキリと意識に上がってきたのだった。ゾワって!







絶対に離婚しようと思った。







そして、私は尽くす人だった。それが素晴らしい生き方だとすら思っていた。尽くしがいのある男を見つけて尽くして生きる。それが生き甲斐のように。








私の生き方が大問題だった。







その新聞を読んでいる姿は、だいぶ経ってから気づいた。私の父にそっくりだった。







私の父はヒモだった。頼りない、甲斐性なし。言う事だけは立派だった。そんな父を母は水商売で支えた。








無意識で父の様な男を自ら選び、母と同じようにそんな甲斐性なしの男に尽くしていた。






そのズルい人と離婚するのに一年だった。トトトーンって事が進んだ。





離婚する前に、子供達とも話しあった。





もう、家を維持するのは無理だからもう、売ろう。そして子供を連れて、借家に住もうって!





そしたらそのズルい人が【俺は社長になった!だから給料も上がるし、なんの心配もない。家は売らないっ】安心した子供達は、家に残るとの決断だった…。私ひとり、家を出ることなった。財産分与もしなかった。あるのは、私名義の借金と、ローンがたっぷり残った新車。








そのズルい人はいつもいつも、独立するって言いながらしなかった。だから、心から私も喜んだ。仕事はできる人だった(と、思う)







いつも遊びにくる娘が『また学費払えないってさ…。いつもいつもお金ないって。【何に使ってるの?】って聞いたら【お前達の学費貯めてるんだ】って言ってた。なのに払ってない…。【なんで払えないの?】って聞いたら【お前達の学費がかかるから】って、払ってもないのに…?何言ってるかサッパリわからない…。お金を貸しても返してくれない…!!』





そのズルい人の母が離婚後、だいぶお金を貸してきたけれど、貸さなくなったのか?娘に借りる…。2日後返すと言うからって貸す。2日後返してっていうと【仕事の金が入るのが遅れたから返せない。俺のせいじゃない】って話にならないと呆れる娘。





私の子供達は自分たちが【毒親育ち】だと自覚している。私も昔、毒親だったから子供達に謝った。





私は毒親だったけど、私が毒親育ちだと50年も気づかなかった。立派な親で、愛情たっぷりで育ってきたとすら思い込んでいたほど。




そのズルい人も、自分では気づいていない。毒親育ちで、自分も毒親だって事を。




来年には、長女も長男も関東へ行く。





そのズルい人、また昔の私の様な尽くしてくれる人を探すのか。




自分で頑張って生きて行くのか…。






人生の重荷を軽くする40のヒント  加藤諦三