いつも不安で生きてきた

アラフィフみよちです

 

心の病みで真っ暗だった50年

 

 

そこから一転

 

 

本質的な幸せを感じられる心を

取り戻すことが出来た


そんな私の過去のストーリー

を綴ったブログです









私は2回離婚している。




…なぜかといえば、好きでもない人と結婚していた!好きでもない人となんで結婚するのっ〜?て、思う…。




一回目の結婚は年齢的に…アパート更新近いし…優しくて、おだやかで、家事も出来て、なんだか自立してる様にみえるし、私を可愛がってくれるし、、、って感じで





二回目の結婚は年齢的に、子供産むのがそろそろ…、優しくて、おだやかで、家事も出来て、なんだか自立してる様に見えるし



(笑)





そもそも、私自身が本当の自分ではなかった。なんでも他人に合わせて、その時、その時の都合のいい方に合わせて生きてきていた。何が好きなのかも…。好きなものがあってもほとんど思い込んでただけ。そんなんだから本当に好きな人との結婚なんてありえなかった。





そして私は、実は私が男の人が怖いと言う事を知った!




私は男の人といつも仲良く出来てたし、とってもフレンドリーに接していた…。それなのに?




無意識では違っていた。怖くて怖くて逃げ出したいほどだった!




それに気づいてから、よ〜く考えると、、、。



確かになんだか変だった!




学校やら、子供会やら保護者が集まってたりすると、よくお父さん軍団に混ざってた。よそ様の旦那さんなのにフレンドリーに話しかけてた。わざわざ…。




嫌い、怖いを隠してた



本心とは真逆の行動をしてた…。


それほど受け入れがたいものだった。





小さい頃からずっと見てきた男性像って、父親…。




私の父は、ご近所でも知人でも、皆から【優しくて、おだやかで、仏様の様な人】って言われていた。子供の頃から、こんな素晴らしいお父さん持って、あなたはとっても幸せなのよ。ありがたく思えとか、こんな穏やかな人を怒らせるなんて、あんたは相当だ!とか。





だけど家ではオオカミだった。私と兄しか知らない。毎日毎日、躾の仮面、正義の仮面、美徳の仮面、道徳の仮面をつけて攻撃されてきた。母は水商売でいつもいない。そもそも子供に関心もなかった。父はヒモだった。毎日働かないで、ゴルフだ、スポーツジムに通っていた。お金が無ければ、子供に金がかかるといって祖母に無心していた。




それでもわたしは言って回る。聞かれてもないのに【私の父は素晴らしい人です】

 

自分の本当の感情を受け入れることが出来ず、逆をしていた…。50年も。



この父を私の心の底では恐ろしいほどの憎しみ、敵意をパンパンに持っていた。




そんな事にも気が付かないで、父の様な男と結婚していた。






【情けなくて、頼りなくて、甲斐性なくて…尽くしがいのある男!】


私は尽くす人だった。尽くすことが最高の生き方だとさえ思っていた…。だから尽くしがいのある男を選んで、尽くす事で自分の価値を確かめていたんだと思う。尽くしがいのある男を自ら選んでいた。





そうやって、私は母と同じ人生を歩いていた。




そして私は言って回った。聞かれてもないのに【わたしの旦那は素晴らしい人です】





私の無意識が創った現実だった!





今はその現実を知ったから、今度こそは【本当の自分】で生きて、本当に好きな人に出会いたいと思っている。




私の昔の男の定義(無意識の)は本当にひどいものだった(笑)そして、私自身の【人に尽くさずにいられなかった】のが1番の問題だった…。