いつも不安で生きてきた

アラフィフみよちです

 

心の病みで真っ暗だった50年

 

 

そこから一転

 

 

本質的な幸せを感じられる心を

取り戻すことが出来た

 

 

そんな私の過去のストーリー

を綴ったブログです

 





私は12月に離婚成立した。その後すぐ自己破産を決めた。1月には自己破産の申請をした。離婚の時にお世話になった法テラスにまた、お願いした。






自己破産の申請をして、2週間くらいで車を引き取りにきた。よりにもよって、大雪、大吹雪の日だった。地元でも運転したくない〜ってほど。関東から来た業者?の方も中々出発出来ずにいた。








明日から車がない生活…。とはいっても職場まで歩いて20分ほど。近くにはコンビニ、スーパー、本数少ないけれどバスもある。車がないと絶対に困る!わけでもなかった。さらには、会社の生き帰りに黙々と歩きながら【思考の整理】が出来た。いい時間だった。






休みの日、少し遠いところに行くからたまにはバスで行ってみよう、とバス停で寒い中待っていた。この頃の私にとってすごくイヤな事がおこった、、、。





私のアパートに、身一つで転がり込んできて私の貯金、車を自分の物にしていった、そのズルい人、すなわち私と離婚した人が車で通り過ぎた!なんだか、バスを待っている私を、薄笑いしている様な、バカにしている様な感じに見えた。






子供達からも聞いていた。もう、母さんは車がないから送迎は頼めないって言ったら、【情けない、車もないなんて】から始まってずっと辛辣批判をされていた事も…。







そのズルい人の姿にゾワっとした。そしてなんだか怒りがわいて、、、その後はなんとも言えない【惨めさ】に襲われた。私はいつもなんだか【惨め】だった。その【惨めさ】は憎しみの変装だったことも加藤諦三先生の本で知った。






私が幼稚園の頃、工作で窓付きのお家を作った。次の日、発表会をするという。家に帰って作品見せたら、おばあちゃんが、窓を可愛く作るやり方を教えてくれた。それを次の日作った!とってもよく出来て嬉しかった。隣の男の子が『それ、ボクのと取り替えて』


え?首を横に振った。しつこく言ってくる。『やだ』『なんで』『やめて』…言えなかった。その頃から私は【言いたいことが言えない人】だった。結局、そのかわいい自信作は、その子の物になった。発表会でかわいい〜!すご〜い!と私の作品が褒められている。




その様子をただ黙ってみていた。私がつくったのに。

私の手には汚い作品。【惨め】だった。それを家に持ち帰った。「なぜ?」がっかりして怒るおばあちゃん。そこでも何も言えない私…。それも【惨め】だった。




こんな幼少期からすでに搾取タイプ、搾取されるタイプ

いる。私は当たり前の様に搾取されること受け入れていた。


  



私の人生の前半は【惨め】だった。

憎しみ、敵意を【惨めさ】に変装していたのだから。




そうゆうことだったんだ


でも気づけば行動がかわる!


良かった〜(笑)