いつも不安で生きてきた

アラフィフみよちです

 

心の病みで真っ暗だった50年

 

 

そこから一転

 

 

本質的な幸せを感じられる心を

取り戻すことが出来た

 

 

そんな私の過去のストーリー

を綴ったブログです

 








私の無意識、いわば幼少期のみよちちゃんは

とっても

厳しい


めちゃくちゃ
スパルタ


私が

抑圧というものを知って

人は

意識
無意識

2つで1人。


無意識、いわば幼少期のみよちちゃん


そのみよちちゃんが苦しんでいる?


そのあたりから抑圧の蓋が外れていった



最初は胸のあたりにトントンってノックしてきた


なんだろう?何かを出したがっている?


それはわかる。私も出したい、出してあげたい




そうしていると

こんどは、体当たりでドアを開けようとするほどの勢い


本当にズキズキして痛い


それでも出せないで飲み込んだりすると


ナタの様なモノを胸から気管支にかけて振り回す

痛い痛い

最初の頃は本当にびっくりした


でも、出てきてしまうと


気管支あたりにつかえていた様な

ひっかかりがとれて


嘘みたいに
呼吸が楽になったりする


心がスッとする

離婚の話しをした次の夜、娘がやってきた


ママどうしたの?
どうしてこんなんになったの?


昔、自分が大嫌いだったころ
娘がかわいいと思えなかった


自分を許していくだびに

自分を受け入れていくたびに


娘がかわいい愛おしい!



自己受容出来てくると1番わかりやすいのは、子供との関係だと教えてもらった!


その娘に胸のうちを打ち明けた



もう自己破産レベル。借金だらけで毎日食べるのが精一杯


支払いしていつもお金ないの。だから毎日働いてなんとかしてたけど…


もうどうにもならない


家だってもうこの先維持は難しい


娘はびっくり!

なんで?
うちはお金あるかと思ってたよ?



新しい家、

子供達の遠征代


すべて
借金

なんだよ、、


1番は遠征


弟達のスポーツチームが毎週の様に他県に遠征に行く

他の保護者とこのままでは破産する!って冗談混じりながらも皆で協力して、車乗り合いしたりできる人で
付き添いしたりして、各家庭の負担を減らす話にもなった。


にも
かかわらず


自分の債務整理が終わるまで離婚しないでという

そのズルい人が

「自分の子供を自分で
連れていけないなんて
情けない事はしたくねぇ!
頭下げるなんてみっともねえ!」


家ではこうだけど
外では
にこにこいい人ぶる




いつも乗せてもらっているからうちが次、行きますよーって


声がかかってるのに

私が
断る様に言われる


日給月給なのに休んで遠征についていく。借金してまで


なのに

そのスポーツチームのせいで借金したと怒っているそのズルい人の話しもした


何より

もう私
お父さんと死ぬまで
一緒にいるなんて
イヤ…

このままだと
一生借金返していくだけの
人生

これ以上我慢できない

自分に

嘘ついてまで
暮らせない

子供を巻き込んで
申し訳ないけれど

ごめん、、、


娘が

ママ?それ、、弟達に話した?話してあげてよ!

アイツらなんて何にもわかってないよ?

うちがそんなに大変なんて夢にも思ってないし


ただママがなんか離婚したがってる?
くらいだよ?

言わなきゃ
わかんないよ!



そもそも
幼少期から
私は

言いたい事が
言えない人

さらに

なんとなくわかってくれたよね?

とか

きっと察してくれたハズ

とか

言わなくてもわかってくれる

とか


なんでも自分の都合よく捉えていたのだ


人は言わなくてもなんとなくわかってくれるものだと
思っていた


そうやって50年も生きてきた

拗らせて拗らせて