いつも不安で生きてきた

アラフィフみよちです

 

心の病みで真っ暗だった50年

 

 

そこから一転

 

 

本質的な幸せを感じられる心を

取り戻すことが出来た

 

 

そんな私の過去のストーリー

を綴ったブログです









私は高校生の頃から教習所に通っていた


上京して働くけど免許証は身分証明書になる


だから運転するしないよりもその目的だった


ペーパードライバーで11年ほど


地元に帰りさすがに車がないと不便


おばちゃんが車新しいの買うから30万円で譲ってもらった



その車はセダンタイプでボックスカー流行りの中


え?渋くね?みたいに言われた笑



私が結婚した人そのズルい人は
搾取タイプの人だった


もちろん気づかなかった何年も…
 

幼少から搾取する人に囲まれて育っているから


搾取されているのが当たり前過ぎて全く気づかなかった




そのズルい人は


身一つで私のところにきて


運転免許取り消しされていた


その車で私が送り迎えしていたけど


取り消し期間も終わり免許を取った


結婚したのだから財布は一緒と言って


私の貯金から30万円支払いをした



そして私の車で通勤する。私は歩き



その車もガタがきて車を変えよう、、、


私は中古のつもりで行った


まんまと営業マンに捕まる


中古でいいんですと頑張っているのに


なぜかそのズルい人も営業マンと一緒に
私を説得にかかってくる


そして弱い私は負ける


自分はブラックリストだから契約は出来ないと
そのズルい人、、


400万円の車を私名義の借金で買う


ボーナスもないのにボーナス払いが年に2回
 

車を買えて大喜びのそのズルい人は
払うの俺だしって


でも私はもう不安しかなかった


お腹に3人目の子供がいた


性生活は結婚したんだから毎日が当たり前だ!


どんなに疲れていようとも

脅されて


頼んでも避妊もしない



そして当然の様に車を乗り回す

そのズルい人

 
私は歩き



車があって色んなところに行けてありがたいな〜



って思えなかった…


何度も何度もそう思おうとしても出来なかった


もう貯金もない


2人の子供と


毎日ビールがないと


怒るズルい人


朝飯も食わず頑張ってると言って



コンビニで朝買ったパン食えなかったって持ってくる



昼はもちろん弁当を私がつくる


車のローンが重くのしかかる



カツカツの生活だった

 

3人目を産む時なんて無事に産まれて欲しいより
 

暮らしていけるか毎日心配と不安



産まれたと思ったら



リーマンショック…


日給月給で働く
そのズルい人の仕事がない…


もう家賃も払えない


甲斐性なしのそのズルい人は

(もちろん抑圧していたから
立派な旦那だと思い込んでいる)


仕事がないのは俺のせいじゃない


なにもしない考えることすらも


どうにもならない


クレカ作って食費を確保


住むところ


私の実家にお世話になる


その頃は無意識で大っ嫌いな人達に囲まれて
搾取される事も気づいてなどもちろんない


利己主義という言葉さえも知らない



そしてそのズルい人が現場で大怪我をする。


足を粉砕骨折


だいぶ経ったあたりで



共済に入っていた


お世話になる事などなかったから



気がつかなかった200万近くだった


やっとリボ払いもカードローンも車のローンも返せる


希望が見えた


そうこうしていると


実家の隣の畑が売りに出された


子供会のママが銀行員だった


集まりの時にそのズルい人と私に
買ったらいいのに〜

話しかけてきた…


私達の収入ではとても買えないからって


頑張っているのにまたそのズルい人が
乗り気になっている

きっと審査で引っかかるから

まぁいいや〜くらいだった



まさか通ってしまったのだ


そのズルい人はこの十数年でクリアになったのだ



借金はすべて私名義だから


もう
大喜びで契約したのだった



そうは言っても私だって

キレイなマイホームに憧れていた!



借金苦から抜け出した錯覚もしていた