おはようございます!
今日は80回目の広島 原爆忌。
以下、広島の被爆2世、吉川晃司さんのインタビュー(中國新聞、2025年8月4日から抜粋)
「世界中で懐疑的な思想や、きな臭さがどんどん増していると思う。東京大空襲を経験している自分の母が東日本大震災のとき、津波で流された状況を見て、あのときと同じだというのを聞いて、はっとした。
宮城県石巻市で震災の1週間後から3週間、ボランティアをさせてもらった。自分には何もできないという無力感にさいなまれた。
そのとき非政府組織(NGO)ピースボートの人たちと一緒になり、君の力を使ってくれ、発信してくれと言われた」
「原爆のようなモンスターに多くの人の命が奪われることは二度とあってはならない。だから理想は、核兵器は地球上からすべてなくなることが望ましい。かたや今のウクライナのように核兵器を持たない国が侵略されるという、だまし討ちのようなことも起こっている。正しく祈って、まっすぐ見ていれば傷つけられないのかというと、そうでないのも事実だ」
「ただ、戦争を始める人は、安全地帯にいられる人たち。犠牲を強いられるのは庶民。
ならば安全地帯にいる人だけで決めるんじゃなく、国民の総意を聞いて、決めようよ、と思う」
「この企画展『ヒロシマ1945』には、子どもの頃に見て覚えている写真がたくさんある。でも、大人になってから見た方が強烈。子どもは『怖いな、痛そうだな』と感じるけれど、大人は、『これは人間がやったことなのか。どうしてこうなったのか』と考える」
「世界中の人たちにこの企画展を見てほしい。そして核兵器を使うようなことが二度とあってはならないと感じてほしい。
中沢啓治さんの漫画『はだしのゲン』が平和教材から削除されるようなこともあったが、怖いものにフタをすると、現実はいつまでたっても見られないんじゃないかな」
「初めて写真を見た子どもには消化できないこともたくさんあるだろうが、受け止められると思う。
原爆資料館の展示もそうだが、怖くて最後まで見られなくても、今度はちゃんと見ようと思えたら、それでいいじゃないですか」























歳を重ねて、とんがっていた人たちもそれなりにオトナになって。
発言する人もいれば、
処世にたけて黙る人もいる。
若い時はわたしは好きじゃなかった
吉川晃司もキョンキョンも
世の中のことについて
「わたしはこう思う」と発言する人たちになって
内容が共感、同感するかは別だけど
同年代としてすごいな、と思う。
平和がいちばん!と口にするのは簡単なのよ。
この年齢になって問われるのは
だったら平和のために
「わたし」は何ができるのか?? だと思います。
少なくとも「黙り込む」ことじゃないのは確か。

