つまり私にとってHSPは一つのアイテムのようだということ。常に近くにあって自分の一部のようだけど、そしてそのアイテムを通して見えるものや感じるものがあるけど、時には取り外したり、違う種類に変えたりもできる。それに生活をコントロールされたりしないけど、ただ自分らしい人生にはきっと必要でもある、そんなアイテムのようだと思う。
ただ、私にはアイテムだけじゃなくて、もっと大切なものがある。
その一つは家。
例えば、不満や悪口や怒りを話す人といると誰でもとても疲れる。ゴツゴツした岩を次々投げつけられたような衝撃。深い泥沼に片足を引きずりこまれるような恐怖。動揺をコントロールしようとするけど、キャパがちっちゃいからだんだん息苦しくなる。アレルギー反応みたいに。
そんな時、何か強いシールドを思い浮かべる。銃弾とかビンビン跳ね返すやつ。私は大丈夫、この人の話に影響されない!ってあえて思い込む。そうするとだいぶマシ。
そして、それでも心に溜まってしまったどす黒い重たいものは、夫に喋って吐き出す!笑
この愚痴を吐き出すことを、私はあえてリフレッシュのためのチャットだと思っている。というのはそう思わないと、彼にも不必要な気を遣ってこんな話したら彼も疲れちゃうかなとか心配して結局溜め込んで、いつかもっと悪いことになったりするから。重大な相談事のようにではなく、返信も期待しない、たわいないチャットのように話す。ドライヤーかけながらとか洗い物しながらとか。「んでさー、こんなこと言っててさー、いやーもうなんとかなんだなー。」って。
私はこの夫とのチャットにどんなに助けられているか。自分一人で溜め込まないで、共有の出来事にするだけで、ダメージも刺激も半分以下になる。責任を放棄できる、と言ってもいいぐらい。夫はいつでも聞いてくれるし、共感して意見してくれるし、何よりいい感じに忘れてくれる!←これけっこう大事!
全方位見渡して、敵もいないこと、自分はここにいるということを確信すると、私は初めてありのままの私として息ができる。それは玄関に入って、ただいまーと言う時のため息に似ている。
つまり私にとって夫は家。広くて暖かく、明るい不動の避難場所。帰る場所。ため息をついて、服を脱いでも大丈夫な場所。天気が変わっても誰かがやってきても、もう怖くない。
HSPが私の一つのアイテムだとしたら、私にとって大切な家は、夫。だから彼がいるところにいつも私もいたいと思う。
