みなさん、こんばんは!
レオナイン達は宮崎でCSに向け頑張ってますね。
ナカジが1試合遅れで150号を決めたとか![]()
と言っても150号としてカウントされる筈はありませんが。。。。。
昨日の記事で、【助っ人になれなかった外国人選手】って話題を取り上げたのですが、
今日はそれに続く【投手篇】を作ってみました。
あくまで私個人的な思いこみで【なれなかった】と決めてますので、その辺はご勘弁ください。
在籍年度順に並べてます。皆さんの記憶に残っている選手はどれだけいらっしゃいますか![]()
※選手名の後ろの数字は在籍年度。
レイモンド・ヤング(1991~1992)
郭泰源、デストラーデに次ぐ第3の外国人選手として入団した。速球には威力があったが制球難のため2年間で先発登板5試合、1勝を挙げたのみにとどまった。
ロバート・ウィッシュネフスキー(1997)
登録名は「ロバート」。主に中継ぎで登板し、34試合3勝2敗6S 防御率4.22。一年で退団。
ジョバンニ・カラーラ(1998)
西武ライオンズでは目立った成績を残せなかったが、帰米後はメジャーリーグに定着し、中継ぎ投手の柱として活躍するなど飛躍を見せた。2006年のWBCではベネズエラ代表にも選出されている。(33試合、投球回73 1勝2敗1S 自責点4.91)
バリー・マニュエル(1999)
リリーフ陣の柱となる事が期待されたが、制球難からオープン戦で大きく評価を落とした。4月21日に松坂大輔の後を受けて8回の1イニングを無失点に抑えたものの、この登板のみで退団した。
ラファエル・ディアス(2000)
中継ぎで7試合に登板したが、投球回8.1、被安打7、自責点7、防御率7.56と結果を残せず、同年限りで退団。
ミゲール・デルトロ(2001)
先発で1試合・中継ぎで13試合に登板し、1勝を挙げたが、シーズン終了とともに戦力外になり帰国。その直後、友人の運転する車に同乗中、事故に遭い29歳の若さで亡くなった。彼の死を悼み、2002年のみ西武は背番号32を欠番とし、翌年に細見和史がつけるまでは欠番になっていた。
クリストファー・ライト(2005)
一軍初登板となった4月12日の日本ハム戦で先発を務めたが、打者8人に5安打2四球、1/3回5失点と散々な結果に終わった。翌日は敗戦処理で9回表に登板するも、小笠原道大に被弾を浴びて1回1失点で、以後は二軍降格。5月28日に解雇された。
クリストファー・ギッセル(2006~2007)
2006年は通算6勝4敗。2007年は1勝9敗と大きく負け越し、西武の26年ぶりにBクラスに転落してしまう原因を作ったという事もあって、同年10月に戦力外通告を受ける
ジェイソン・ジョンソン(2007)
松坂大輔の抜けた穴を埋める投手として期待をかけられたが、開幕直後の4月上旬に右ひじ靭帯痛のため一時帰国。5月25日に再来日し、2か月ぶりのマウンドに立った。その後は先発の一角として7試合に登板し、1勝4敗、防御率4.35と目立った成績を残せず、10月に戦力外通告を受ける。
マット・キニー(2008)
17試合で2勝4敗、防御率4.48と結果を残せず、2008年限りで退団。
ジョン・ワズディン(2009)
2002年巨人軍にて10試合1勝4敗と振るわず1年で退団。7年ぶりの日本球界復帰となった。先発ローテーションの一角としての活躍が期待されたが勝ち星に恵まれず、6月2日に7年ぶりの勝利投手になった。14試合で2勝3敗。10月、球団から戦力外通告を受けた。
ジョナ・ベイリス(2009)
2009年7月、抑えのグラマンの離脱などで、ブルペン陣が苦しい状況が続いていた際に入団。8月に初登板を果たすと主にセットアッパーとして登板。14イニングで被安打18、8四球と安定感とは程遠かったが、被本塁打は1本に抑え、防御率だけでみると3.21とこの年の投手陣の中では比較的抑えており登板機会は多かったが、前の投手が残したランナーを返したり自分の出したランナーを後続が抑えるということがいうことが多かった。同年11月12日に自由契約公示された。
ここに挙げた以外にもたくさんの外国人投手が在籍していましたが、
【助っ人になれた外国人投手】として私が選ぶナンバーワンは何と言っても
オリエンタル・エクスプレス
郭 泰源 投手(1985~1997)
通算成績117勝68敗17S
№2が現在も実直にブルペンを支えてくれているミンチェ投手です。
怪我をする前、大活躍していた頃グラマンは好印象だったのですが、ここ数年は![]()
いろいろ勝手なことにお付き合いいただきありがとうございました。
最下位からの挑戦
失うものは何もない。チーム一丸、全力で戦う。
絶対に日本一を勝ち取りましょう!
ランキングに参加しています。ポチッもよろしくお願いします。