観た映画☆読んだ本

観た映画☆読んだ本

幅広く、とりとめなく、まめに更新(したい)。

Amebaでブログを始めよう!
ブログを止めようと思います。


誰に向けて、何を書いているのかが曖昧になってしまい、

書き続けることができなくなりました。

ブログ歴なにげに4年。

途中で中断した合計は数か月。

ここらできっぱりと手を引いて、

次の一歩を踏み出そうと思います。


お世話になったみなさま、本当にどうもありがとう。

おかげでほんとに楽しかった!



true-宵山万華鏡


すっぴん美肌と、キラキラゴージャスなメーク顔。
どっちが似合うとかじゃなく、どっちも自分らしくキレイでありたい。


私が思うに、森見さんの作風は二種類あって、たとえば
『きつねのはなし』がすっぴん美肌なら、『夜は短し歩けよ乙女』は
キラキラメーク顔。

宵山万華鏡』は、一作ごとに両方の魅力が交差する連作短編集で、
まさに万華鏡のように、印象がくるくる変化する楽しさがある。

作家としてはメーク顔のイメージが強いけど、実はすっぴんの魅力も
磨いてる。

自分が思う最高のエンターテイメントを提供し続けるけど、純文学の
要素を育むこともあきらめない。

そんな小説家としての心意気を感じた一冊。
進化し続けているんだな~と嬉しくなりました。


ただ、あえて言いますが・・・、

今作は不十分な長編小説のような印象も。

個々の短編の出来が良いと、連作集に編んだとき、
かえって短編と短編の間のどうしても書ききれない部分が見えやすく
なるもんだなぁと思いました。

また、その隙間を埋める筆力が備わっていれば、この物語は
読み応えのある長編小説にできたんじゃないかなと。


だから、いつか素敵な長編を書いてくれることを期待します。


true-『時をかける少女』


去年映画館で見逃して、1年越しの再会。

観よう観ようと思っているうちに公開が終わって、
DVDが出る頃には観たかったことも忘れていたんだけど、
先日地上波で放映しているのを偶然見かけて。

その日は全部観られなかったので、あらためて
TSUTAYAで借りてきました。



ひとことで言うと、んーせつない。

「未来で待ってる」なんて・・・涙

未来で会えるのか、だとしたらいつなのか、
彼は言わない、彼女も聞かない。それはたぶん二人とも
約束はできないから。

でも、この恋を糧に二人はきっと、しっかり生きて
いくのだろうなと予想させる爽やかなラスト。

こりゃ恋活じゃー味わえないゾとひとり涙ぐむ私、
高校野球と言い、年々青春モノに弱くなっていくのが
オソロシイ。




true-デイビッド・コパフィールド


タイトルにいやらしく「(一)~(五)」と書かせていただきましたが、
本当なんです・・・ キャハハ

総ページ数、約2000ページ。
コイツを読み切りました!

いやぁ、長かった。。。

たぶん今まで読んだ小説の中で一番長い。
長い小説に取り組む勇気をもらいました。


一、二巻あたりはバツグンにおもしろく、気づけば二日で一冊を
読み終えるハイペース。手が止まらんのです。波瀾万丈の人生ストーリー
かつ、ディヴィッド少年がけなげで頑張り屋なところが読者を味方に
つけるのかな。

また、性格の特徴をこれでもかと強調された登場人物たちの描き方は、
まるで子供の本の手法。これまた読者を飽きさせない工夫だなぁと
思いました。

五巻までに入ってくると、ディヴィッドも大人になり、正直やっつけ
仕事で書き上げた感も否めませんが、これまで長く親しんできた登場人物
たちがそれぞれの人生を見出していく様子は、ありえない大団円だろうが
なんだろうが、私は拍手で見送りたい。


要するにインテリぶって気取ったところがないんですね、ディケンズの
小説って。「事実だろうがフィクションだろうが、良質のストーリーを
提供するもの」という小説の基本原則を敷衍しつつ、イギリスの
国民性を良いところも悪いところも盛り込んじゃうその作風が、国民的
作家たるゆえんです。2003年まではUKポンド札に肖像が使われていたとか。
まさに日本における夏目漱石のごとし。




にしても私のこの夏の思い出は、ディヴィッドと高校野球に尽きます。

決勝戦、10対9という結果だけ見たら、9回表2アウト2ストライクまで
行った時に、6点差だったなんて信じられます?
あぁ~~~思い出しても興奮して鼻血が出そう!
あと一点が欲しかった!!!

って、まるで中学生みたいな夏休み。。。 ぼー





『中京大中京VS日本文理 9回表ノーカット 驚異の追い上げ 1/3』

2/3と2/3もどうぞ 心


true-風神帖


あとがきで『風神帖』『雷神帖』の由来を知る。

この十年ほどの間に書いたエッセーの類を二冊にまとめるということに
なった時、やはり何か対になったタイトルが欲しいなと思った。


ほうほう。そういうもんですかね。

(中略)

そこまで考えた時、ふと宗達のあの絵が浮かんだ。風神と雷神。
あれほどはっきりしたイメージは他にない。なんといっても元気だし、
しかも滑稽味があってにぎやかだ。

あの構図、真ん中がすぽんと空いているところがまた好ましい。
日本画は空間の扱いがまことにうまいものだが、あの場合はそれが格別。


たしかに、日本画の空間の美を象徴するものとして
よく引き合いに出される絵ですもんね。

で、なぜあの真ん中の空白が大事か。

そう! 私はそれが知りたい。
「池澤夏樹のエッセー」と「日本画の空間の美」の間に
どんな相関関係が?

ぼくにとっていちばん力を込めるべき仕事はエッセーではなく創作である。
本業は小説と思っている。


お、いいぞいいぞ。かっくいい。

だから風神と雷神の間の空っぽを見ていて、ここに入るべきは
自分がこれから書く小説であると気づいた。その神はまだ到来して
いない、という感じがいいではないか。二神は脇侍、いずれはこの二冊の
間によくできた大長編小説が本尊として降臨する、という展開を
期待しよう。







 え゛!・・・・おい









や、でも好きだなぁ、この感じ。苦笑

人を食ったような話の展開にのけぞる。

あの二神の空間に何かモノを入れようなんて、ほかに誰か
考えるだろうか。

少なくとも私は誰もがあの絵は、空間を見るための絵として
認識しているんだと思っていた。でも思いこみなんだ。発想は
自由なんだ。


だけど、、、

本尊の降臨を期待しているのは読者である私です。
なのであなたは期待していないで早く書いてください、
池澤さん!


true-宗達


true-『六本指のゴルトベルク』


残念ながら私に音楽の才能はなかったけれど、バッハは好きだ。

特に、『The six cello suites』(『無伴奏チェロ組曲』)の、
あの有名な第一番ト長調のプレリュード。

もっと言うと、バッハが好きというより、低音の弦楽器が好き
なのかもしれない。

クラシックなら断然チェロの音に惹かれるし、
ジャズだったらウェス・モンゴメリのギター。

メロディを奏でられる、ギリギリの低音が好みに合っている。


高校生の頃、長身を買われてウッドベースを勧められたけど、
持ち運びがおっくうだったし、そもそも私のなまっちょろい指では
あの太い弦を押さえきれない。

結局私が希望したのはフルート 薔薇きらきら!!

ヘタの横好き同士でやってた気楽な部活動だったけど、音楽を
やっていて合奏の楽しさを実感したのは、思い出せる限り
高校時代だけだったような気がする。


私たちの部では、新入生が一番先に練習する曲がパッヘルベルの
『canon』で、高じて、上級生になっても一日の弾き始めの
指ならしや、練習の合間のインターバルで何の気なしに弾く人も
少なくなかった。

練習はたいてい、同じ音楽室内で楽器ごとに、合奏の時間まで
調整するのが常だったが、どこかで誰かが『canon』を始めると、
同じタイミングで一休みしていた誰かが断りもなく合わせたりする。

弾き始めた人が勘づかないまま終わっちゃうということもあったし、
誰かが自分に合わせてきたためにちょっとした指ならしのつもり
だったのに最後まで弾かざるを得なくなったりとか、一人、また
一人と入ってきて、気付いたら大合奏になっているなんてことも 苦笑てへ


この曲の楽しいところは、輪唱だからみんなが楽譜の同じところを
弾いているかどうかしばらくわからないというところ。自分は残り
あと八小節と思っていたら、ほかの人が満足げにラストを弾き上げて、
お互い「あれっ ・・・・あんぐり」と顔を見合わるとか、

ベース陣が弾きながら勝手にテンポを上げていって、メロディ陣に
「付いて来れるか?! あひゃ」と言わんばかりの勝負を吹っかけたりとか。

で、そんなことばっかやってると、先生か先輩に「遊ぶなー!ブチブチ」と
怒られて。

(なんだか思い出して顔がほころぶのは、このところ毎日
高校野球を観ているせいでしょうか。やー明日はいよいよ準決勝!にゃ心


『六本指のゴルトベルク』は、音楽を題材にした小説を紹介する本。
現役ピアニストの著者ならでは、プロ演奏者の大変さも随所に
描かれる。一般人は「楽器ができたらいいなぁ」なんて簡単に憧れる
けど、この本を読むとプロの世界は吐き気をもよおすほどに厳しい。
そして、なんともせつない。

また、次々と登場するクラシックやオペラの曲名。たとえば
『ドン・ジョヴァンニルンルン』 『クロイツェル・ソナタ音符』 『夜のガスパールおんぷ』等々。

メロディを知らないままに言葉で読み続けるのは、
イメージを膨らませることを禁じられるようでなかなか拷問だ。

だから、読んでいる間はかなりYou Tubeのお世話になった。


自分のあまりの知らなさに、「生活の中にクラシックをもう少し!ト音記号」と
思ってしまうが、この無防備さはきっと危ない。

音楽の世界も本の世界と同じで大海原だから、漕ぎだせばきっと、
それなりの犠牲はやむを得ないことになるだろう。



true-『説得』


オースティンはイギリス文学史のなかでちょっと異色の存在。

すごくおおざっぱだけど、イギリスで近代小説が発展するのは
19世紀半ばからで、その端緒を切り開くのがディケンズ。

オースティンは18世紀後半に生まれた人で、しかも女性。

男性より遅れてやってくるのが女性の常であるなか、
オースティンはセオリーから外れた存在だった。

出る杭は打たれるというが、
彼女の小説は漱石が高く評価したり現代にも熱烈なファンが
いたりするかと思えば、「女の書いた風俗小説で、芸術じゃない」
なんて言われたり。今でも基本的に男の人はなかなか
手に取らないですよね。


芸術はドラマが伴うとわかりやすい。身分差別への反逆とか、
性差による抑圧への抵抗とか。たとえば芸術のために生活を
犠牲にしたゴーギャン。男性名で書いたG・エリオット。

だけどオースティンの場合、人生も作品も、そのような苛烈さ
とは対極にある。そういう条件下で、なぜ今日まで読み継がれる
ほどの小説が生まれたんだろう。


でも私は、ディケンズを読んでみて、オースティンは
やっぱりイギリス文学史においてなくてはならない人だったと
感じた。なぜなら、オースティン以前のまだ詩がメインだった
時代にロマン派詩人たちが賛美した田園の風景と、
オースティン後に来る都会派のディケンズが、鮮やかにあぶり
だした個人の心、オースティンの小説にはにはその両方の要素が
あるから。

オースティンは文学においてまだ詩がメインだった時代と、
小説が躍進した時代をつなぐ役割を果たしたんじゃないか。




前置きばかりが長くなりましたが、私も現代において彼女を
熱愛するひとりなのでどうぞお許しを。彼女の最高峰は、最後の
作品である『説得』だということが言いたかっただけです。

彼女一流の穏やかな明るさのなかにもより思慮深さを感じさせる
文章。すべてを見透かすように余すところなく登場人物たちの心を
描ききっている。この心地よい読後感は、一流の仕事。
こんなのなかなか書けません。


true-『芝生の復讐』


なんて繊細な。


初ブローティガンにして、私のビート文学デビュー作。

「ビート文学とか読めたらカッコいいかも!」 きゃー
ちょっとミーハー気分で楽しみに読み始めたけど、比喩が
ピンとこないというか、読み続けても一向に文章の芯を
捉えられない。

頭の中が「???」ってなって、半分くらい読んで疲れて
置きっぱなしになってたのをふと思い出し、半身浴用の
本にしようとお風呂に持ち込んだ。


わからないからといって簡単にそこらに放り出せない環境
(水濡れしちゃうからね)が良かったのか、少し集中して
読むと、文章の後ろにブローティガンの世界が浮かび上がって
くるのが見えるじゃないか。


その時気づく。

本はそれぞれ読む場所を選ぶ。

ブローティガンのように繊細な文章は、お風呂のように
ひとりでゆっくりと集中できる場所がいい。ざわざわした
通勤電車で読むような本じゃないんだ。

集中できるから半身浴効果も抜群 キラキラ


結局、内容はよくわからないところも多いままだったけど(アレ)、
本の世界の新しい断面を見せてくれた、記念すべき一冊。



true-『夜中にジャムを煮る』


この人はごはんを作る人で、
自分でも食べることが大好きなんだなぁということが
文章だけでよくわかる。


「今日は何も食べたくない」。

食エッセイなのに、なんて挑戦的な章タイトルだろう。
だけど読んでみると、なるほど納得。


一人の昼ごはんを作るのは面倒

でもおなかは空くからとりあえず冷蔵庫の扉を開ける

開けたからなんとなく漬物とかつまんじゃう

でもやっぱり作ってまで食べたくない

このへんのまんじりともしないかんじ、そうそう!って
世の中のどれだけの主婦の共感を集めていることか。


ちなみに、カップラーメンを作るのさえ「面倒」とのたまい、
甘いものが嫌いなうちの旦那様。

この本をぱらりとめくり、「えーっ、女の子がごはんを
食べたくないときなんてあるの?」

・・・はぁぁ、分かり合えんなぁ~、とためいきをつく私。

すると、

「なんでもいいけど、夜中にジャムは煮ないでください。
甘い匂いが漂うから」と、閉じた本を手渡されマシタ。。。むっ



true-『打たれ強くなるための読書術』


お盆なんですねー。

24時間365日営業中の仕事(しかも休職中)なため、
あまりお盆感なかったんですが、
街に出てみるとお子様の多いこと(JRのスタンプラリー、
あれはいかがなものでしょう。働いていると結構ピキッと
来るんですが・・)。

博物館に行ったら、朝から混んでてビックリしました。
地味めな展示だったのになー。



本題。
この本ですが、なかなか参考になりました。

最初はタイトルから「本を読むことで精神的に打たれ強くなって、
混沌の時代を乗り切る!」みたいな本かなと思っていましたが、
ぜーんぜん違います。これは「知的に『打たれ強くなる』読書」の
提言です。


乱読派のみなさん。・・・読んだ本の内容、覚えてますか??

ハイ、私は覚えていません。

読みたい本はいくらでもあるから、時間的にも脳みその許容量から
考えても忘れるのは仕方ない、とずっと思っていました。

楽しみのための読書ならそれで問題ないですが、
勉強なり仕事なり、本で読んだことを何かに役立てたいときには、
忘れてしまっては意味がない。

本書では、そんな時に使えるのが「知的に打たれ強い」読書であり、
しかもそれはかなりの部分が技術であるため、誰にでも身に付ける
ことが可能であると嬉しいことをおっしゃる。

読者としてのあなたが、どのような本との付き合い方をする
ことによって、階段を一段上がった自分になるかということが、
本書の興味の中心であった。ここで「階段を一段上がる」と
いうのは、前より教養が豊かになるという意味ではない。人の
言うことを鵜呑みにせず、自分の頭で考え、「わからない」と
いう状態に耐えられる自分になるということである。

       本書「終章 世界と自分を読み解くために」より


技術の説明は具体的でわかりやすく、蔵書横断検索サイトのURL
なども記載されているので、お勉強でいっぱい本を読まなければ
いけない人とか、乱読じゃもったいないから読んだ本を何かに
役立てたいな、などと思っている人にはオススメです。

ちなみに、昨日「正解のない世界に耐えるという大人の態度」
書きましたが、この本からいただいた言葉です。




話変わって、今日ははま風が強いらしく、送球がそれたり
外野が取りこぼしたり、熊本工×三重戦は初回から波乱の様子。

この時期は、家にいるととりあえず高校野球にチャンネルを
合わせちゃいますなぁ。でも今年は応援している三校中、二校が
すでに初戦敗退・・ ううっ...