夫に対して執着が無くなってしまった。
それまでは、前のブログに書いたみたいに、夫が夫の親戚関係に優しくしたり、大切にする姿を見るたび激しい嫉妬と、一体どこからやって来るのか狂わんばかりの怒りの感情に支配されてた。
でも、それが小さい頃からの母親との関係性の中で、母親が繰り広げていた「母親自身が抱えている内面の痛み」の行為を、
母親を世話し続けるうちに「自分の痛み」のように私自身が思い込んでしまい、いつしかすっかり母と同じようになっていた事に気付いたら、
泣き叫びそうになる、あの嫉妬の感情が、
思い出せないくらい薄くなってしまった。
この時から、夫は私の中で
解放されてしまったのだ。
このブログのひとつ前に書いた自由の中にいる夫の姿を見るようになった。
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夫の事が
空気のような存在になった。とか
たいして好きじゃなくなった。とか
そういう事じゃないよ。
相変わらず夫を好きなまんまでね。
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それがはっきり腑に落ちたらね、私に見えていた夫とその周りの環境が全く違うように見え出した。
例えばの話で
一例なんだけど
夫の親戚は、住んでいる所が少し離れていて、しょっちゅう帰れない代わりに、帰るときは少し長く滞在するんだよね。(私は行かないよ)
するとその環境は楽しくて、色々な事を言い出すわけなんだけど、例えば
今の仕事を辞めて兄弟たちと同じ仕事をしたい(同じ職種で仕事をしたいらしい)とか、
姪や甥の世話をしたい。とか、
それを話す本人を見て、やってみたい、叶えてみたいと思っているその内容を聞いて、
あー、凄くいいね
ぜひやってみたらいいのに。と率直に思い、
夫が夫自身の思いを行動に移す姿を見てみたい。って思うようになった。
そして、
一切、夫の欲求を操作しようとは思わなくなった。
そして、夫がやってみたい事の、そこのどこにも
私が一緒にやりたい事がないなら、一緒に行動もしなくなった。
私自身が罪悪感を感じる事なく、自分自身を自由にする行為を、そのまま夫にも解放していくの。
だから、私の喜びの中に夫が参加していなくてもそれで良くて、また例えば本人さえも面倒な、私側の親戚関係の集まりを夫が辞退しても、特に何も思い煩うこともなくなった。
それと同時に、夫自身が望むその外側への欲求の夫の真実は何なんだろう。って思うようになりました。
今の仕事を辞めて兄弟と同じ仕事がしたい。
姪や甥の世話をしたい。
この欲求は、言葉通りそのまんまじゃない可能性はとっても大きくて、「本当は」「真実は」純粋に望むものの上に何枚かのベールがかかってたりする。
だけどね、その事に対して、周りの人が責任を取る必要はないんだよね。
だから私は、夫が望むままに肯定するだけで、夫が内面に沈んでるものを感じ取ってく日々の成り行きを、生活の中で見てるだけ。
だけど、自分にはもちろんだけど、自分以外にも、制限をかけない。っていう行為は、目に見える速さで相手が変わって来る。
みんな、自分にも相手にも制限をかけておかないとなんかいけない気がする。。。
漠然とした恐怖に取り憑かれてないかな。私はこれだったんだよね。
なんでかは知らないけど、制限必須みたいな。
制限かけとかないと最悪の方向へ行ってしまう。きっと何かがダメになる。ってね。
でも頭の中みてみると、「最悪の方向」とはコレだ!って明確にアリアリとしてる物って無い。ただただ漠然としてるだけ。
そして、制限をかけなければならない!と思っている事のほとんどは。
大した事じゃない
本当にそう。
ここに気付くとね、今まで恐怖に縛られてたいろんな事がほどけて来る。
その感覚がやって来たなら、その、今までの自分の枠の中からちょっと。ちょっとだけズレてみる事をやってみて。
今見えてる現実が、その瞬間から変化していくから。
この行為は、何年もこじれていた関係性を急速に変化させます。
そうすることで物理的に離れる事になったとしても、激しい執着心は波立たなくなってる自分が姿を見せ始めてるはずで、この場合はすでにずっと前から感じ取ってるはず。
大半は、とっても良い関係性に戻っていく。
こうやって文字化、文章化するとなんだか凄く冷たい印象を受けてしまうけど、実際は、
かなり
とても
温かいものなの。
これ、
文章化難しい。。
直接話したいなー。。
今度インスタで話してみようかな。
1人インスタ


近いうちにやってみよっかな