サラとソロモンの中に


まるで自分は転んだ事がないかのように。。。
(正確に覚えていないんだけど)


という言葉が書かれているところがあって、


サラが学校で転んでしまって、
それを取り囲んで笑う友だちの事を書いているんだけど、


その状況をサラが、


まるで自分は転んだ事がないかのように。。


という表現をしてる場面があって、



この一行が


すごく、ずっと心に残っててね。






人のことを批判するとき




多分きっとどの人も



「まるで自分は転んだ事がないかのように」


色々なことを言い
 
 
聖人に化けちゃうよね。





批判の的になっている


誰かのその人格


出来事


そこに付随してくる色々な


それを感じ取ってる人の


事情。


それに似通ったことが


自分の人生のなかに見当たらなければ


瞬時に


「その人を批判して良い」


という風に


思考は変換される。





案外自分が



それなりに危うい事をしていても。




長きに渡ってそれが表面化することなく


自分の生活と


自分自身と


一体化して   しまいすぎていて


実は他人から「批判される」


確率が高いような事だったとしても



やっている事が



その渦中の人と



似通ってさえいなければ



自分は「転んだ事なんか一度もありません」



と聖人に化けちゃうのが早い。





この日常で


無意識に


何度も何度も訓練されてるからね。






人を批判している時


うわさ話をしている時


多分


どの人も


高確率で



「まるで自分は転んだ事がないかのように」


その人のことを


もっともらしく


裁く言葉を使ってるんだろう






だけど





現実世界のエネルギーは






自分が出したエネルギーが


良いとされるものも


悪いとされるものも



戻ってくるのが


本当に早い。


どんなに払おうとしても


出したものは


必ず戻って来てしまう。


凄い早さで。


それが今の地球のサイクルだよね。


本当に早い。


だから


理不尽なことの後に


物理的な行動を起こせなかったとしても


悔やむことは無い


って言い切れるほどだけど、




そんな時にこそ


理不尽なエネルギーを向けてくる他人にじゃなくて


自分に目を向けることをして欲しい


この場所はね


見えてくる世界が明らかに変化することのできる場所なんだよ。



こんな理不尽な時にこそ


チャンスといっていいくらい


タイミングが合ってる。




      ココロのtherapy

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