10/13(土)に東京国立博物館(以下トー博)で10(水)より開催されている、『日中国交正常化40周年、東京国立博物館140周年特別展「中国王朝の至宝」』にMini三国志フェスが開催されるまでの時間を使い観覧してきた。

今回はゆるく募集したが、ありがたいことに3人も参加して頂いた。メンバーは
・はっちゃん
氷咲梨奈さん
ROCKERさん
教団 (五十音順) 以上の4名である。

10/2(火)に掲載したブログ記事の通り、10:45分にJR上野駅にある『翼の像(1人タイタニック)』前で集合して、トー博へ向かうようプログラムを組んだ。

トー博まではそこからとても行きやすく、JR上野駅山下口から出て北へ約250mほど北上し、東京文化会館を左折し200mほど西へ進む。交番を右折し300mほど北へ歩くと到着する。所要時間は10分も掛からなかった。

教団's Rot-東博

教団's Rot-東博


博物館に入ると、正面に2階へと続く階段とエスカレーターが視界に入る。その少し手前に受付が設けられており、チケットの確認がそこでされていた。さて博物館1階で警備員より、手荷物はコインロッカー(100円コインバック方式)に預けるよう、指示される。※ここで財布を預けてしまうと、2階の物販コーナーで買い物をすることが出来ないので注意。そして軽度の持ち物チェックが行われる。この検査の実施も貸し出しの条件に入ってどうだ。そして、2階へ。

展示室はエスカレーターを挟んで左右に別れており、右手の第2会場から時計回りに第1会場へと順路が設けられていた。各会場には3つごとのテーマに分けられていた。後ほど順を追って記述する。


今回の『王朝の至宝』展にはその名の通り、各時代中国の国宝が168種類も展示されており、そのうち6割が一級文物で占めている。

そもそも中国は多中心の文化であり、各時代に多元的な文化が存在した。その異なる文化と文化が衝突したり融合・調和したりした結果、歴史の上に、中国文化が形成された、と言う考えが根本にある。特に北に流れている黄河流域と、南に流れている長江流域の文化の違いが、ひとつの軸としてある。同じ時代でもここまで文化や思想が違うのか、と視覚的に捉えることが出来る。

先に感想を述べると中国について勉強されている方は観に行くべきだと考える。どの様な文化が存在していたのか、また中華外の文化を如何にして取り込み、独自の文化として発展させていったのかなど、教科書だけでは分からない様な事が肌で感じることが出来るからである。

館内は『撮影・携帯電話の使用・接触・筆記・飲食』が禁止されている。

第2会場

第1章--------------------
王朝の曙「蜀」と「夏・殷」
蜀(四川の金)vs夏・殷(中原の青銅)

まずは夏から西周(紀元前2000~紀元前750年前後)の時代である。日本ではまだ縄文時代。ここでは金で作られた仮面や尊や爵をはじめとする青銅器、動物をかたどった作品が主に展示されてあった。特に儀礼具や祭器やの展示が多かったと感じる。

中でも蜀独特の文化が反映されている『突目仮面』が強い印象を持った。他にも器や剣、玉璋などの玉で出来たものや、トルコ石が一面に埋め込まれた青銅板、卜骨も展示されている。蜀の『金沙遺跡』と殷の『殷墟遺跡』の遺跡解説も行われている。
(1章の展示品は30種類)

第2章--------------------
群雄の輝き「楚」と「斉・魯」
楚(南方の神秘)vs斉・魯(中原の伝統)

時代は春秋から戦国末(紀元前750年前後~紀元前200年前後)までである。当時の日本は何の進展もしておらず縄文時代のままである。1章と異なりこの章では無機質なものから有機質へと変化する。つまり、青銅や金、石や玉などで出来た冷たいと感じるものから、動物や植物で出来た温かみのあるへと移り変わった。

また猿や鳥などの動物や人をかたどったものが増え、金属や瑪瑙、水晶などの鉱石類の加工の技術が向上し細かい細工が施されている。さらに仙人である羽人が登場する。このことにより、この当時は技術的にも文化的にも急速な成長を遂げたことが分かる。楚の『天星観二号楚墓』と魯の『魯国胡城跡』の遺跡解説が行われている。
(2章の展示品は27種類)

第3章--------------------
初めての統一王朝「秦」と「漢」
秦(絶対権力が生んだ破格の美)vs漢(安帝と洗練が生んだ様式の美)

ようやく時代は嬴政が中華を統一し秦が建国してから漢王朝が滅ぶ(紀元前221年~220年)までである。日本はようやく弥生時代へ移った。天下を統一してわずか15年滅んだ秦王朝と、新を挟むが400年近く続いた漢王朝の対比。

この対比は不公平な様な気もするが。さて秦は万里の長城や阿房宮、始皇帝陵の建築事業を行なった。その始皇帝陵の兵馬俑が2体が日本にいらっしゃった。リアリティのある等身大の人形を見て、こいつらがサッカーをしたら面白いだろうな、と某アニメの影響でつい思ってしまった。

秦はリアルと完璧を追及する一方で、漢は等身大ではないものの、色彩が鮮やかな男女俑が2体。当時の頭髪や服飾を知るビジュアル的資料は見る価値がある。また蓋付きで「これを買えば出世する」と刻まれた円状の硯もある。この硯は、現在の悪徳商法で幸運になれる壷に通じるような気もするが。

取り敢えず秦と漢は、既存の文化を統一した秦と、漢徳有の文化の成立したかの比較であった。遺跡解説は秦はもちろん『始皇帝陵』、漢は『陽陵』であった。
(3章の展示品は15種類)


第1会場

第4章--------------------
南北の拮抗「北朝」と「南朝」 北朝(清新な北方文化)vs南朝(爛熟の伝統文化)

この章で折り返しである。漢王朝が滅んび『魏・蜀・呉』の三国が鼎立してから南北朝までの時代(220年前後~600年前後)までがこの章の内容である。日本はまだ古墳時代、飛鳥時代。待ちに待った三国志の時代である。

三国志の時代のものはなんと3点も展示されている。しかも全て呉である。残念ながら魏と蜀は皆無であった。それは『弾琴俑』『仙人仏像文盤口壷』『楼閣人物神亭壷』の3点であった。個人的にオススメしたいのが楼閣人物神亭壷』である。

この壷には「鳳凰元年立位長沙太守友作浹使宜孫子(ほうおうがんねん りつい ちょうさたいしゅ ゆうさくしょうしぎ そんし)」と銘文がある。製作時期が明確なので、貴重な資料であろう。そしてこの壷の側面にある『カニ』が可愛いのも見どころである。

あともう1点だけ三国志が好きであるならば観るべきものがある。後漢末に魏王となった曹操が親切した爵位の1つである『関中候印』の金印(1辺2.4cm高さ2.1cm重さ118g)である。曹操も触ったのでは、という淡い期待を持ち眺める。

南北朝のは鼎や指輪、冠飾、耳掻き兼簪など煌びやかなものが多かった(適当)。この時代はササン朝ペルシャ帝国(現イラン)やクシャーナ朝(中央アジアから北インド一帯)、ローマなど異国から入ってきた文化が著しい。さらに王羲之や王建氏が活躍する時代もあり、グローバルな文化を持ったと推測する。北朝は『雲崗石窟』、南朝は『棲霞寺石窟』の遺跡解説が。
(4章の展示品は24種類)

第5章-------------------_
世界帝国の出現「唐」-長安と洛陽 長安(絢爛の国際都市)vs洛陽(聖なる宗教都市)

随が滅んで唐の時代(618年~907年)へ。日本では飛鳥、奈良、平安時代である。唐の時代の首都長安は宗教間を越えて諸外国との貿易が盛んに行われており、常時1万人の外国人が暮らしていたとされる。この時に三蔵法師(玄奘三蔵)によるインドへの旅行も行われた。一方副首都の洛陽は文化面で発展する。そして仏教や道教の信仰が盛んとなり、造寺造仏が行われる。

そんな背景を持つこの時代の展示品は、故服の人物俑や金剛像、如来像など多様である。煉瓦や陶器には蓮華の花の模様がほどこされていた。唐は長安の『法門寺地宮』と洛陽の『龍門石窟』の遺跡解説がされていた。
(5章の展示品は19種類)

第6章--------------------
近世の胎動「遼」と「宋」
遼(奔放な北方民族文化)vs宋正申生の漢民族文化)

最後の章は遼と宋(900年前後~1300年前後)までである。日本では歴史の折り返しをした平安時代と鎌倉時代にあたる。今までの様々な文化が集結し、調和をしたかのようなで、陶器や青銅器をはじめとするものから仏像や経文なども多種多様の展示品があった。そして一番最後に、『中国王朝の至宝』の最大の目玉とする本邦初展示の『阿育王塔』が待ち構えている。最後はスゴいとしか表現出来ない。遼の『紅帽子遼塔地宮』と宋の『慧光塔』の遺跡解説がされていた。
(6章の展示品は圧倒的に多く57種類)



特別点のガチャガチャ

教団's Rot




最後に、この特別展は1人で観に行っても楽しめるが、知人と一緒に観るのも実に楽しいものである。
百聞不如一見、百見不如一考、百考不如一行。「百聞は一見にしかず、百見は一考にしかず、百考は一行にしかず。」(漢書・趙充国)

気になったり、少しでも中国の歴史や文化に興味のある方には観に行くことを強くオススメをする。中国王朝の至宝を見ると、もれなく無料で出雲展も観覧することが出来るのもポイントである。
また来年に神戸で展示されるので、もう一度観に行きたいと考える。


なおこの後に千代田区神田駿河台のレキシズルへ、『Mini三国志フェス』に参加するために移動するのであった。