「鎌倉殿の13人」ゆかりの地めぐりここに案内されてるところに全部寄りました案内マップが大活躍 頼朝は1199年に没したあと法華堂に葬られ頼朝の墓所として信仰されていましたが法華堂は火災などで廃絶、この辺りが跡地とかその頼朝の墓は5層の石塔で出来ていました頼朝の墓の脇ではまだ紅葉が鮮やかでした12月なのに暖かいし紅葉が見られるなんて鎌倉パワーをもらった気がしました頼朝の墓から少し歩いたこちらも見事な紅葉ここも階段を上がった先にあったので出迎えられた感がありましたこの辺りも法華堂の跡地三浦泰村は北条や鎌倉幕府に仕えたものののちに鎌倉での合戦に敗れた三浦一族が法華堂に立てこもり自害したとのことで供養されてるやぐらなんだそうその上にもお墓がありました右から島津忠久、大江広元、毛利季光大江広元と島津忠久の墓は行き来が出来ず階段を下りてまた上がってこなくてはなりませんでした頼朝のところにもここにも「北条義時の墓」とありましたがお墓はありませんでした