昨日の夜、あのベニーニが、久しぶりのテレビ出演で、「あらゆるものがイタリア人によって発明された」と話していたのが、今日も別の番組で、しかもイタリア国歌のBGMつきで流れていた。

民主主義も、人権も、銀行業も、音楽用語も、楽器も、イタリア人による発明だという。イタリアから見た世界観もあるが、イタリアという同じ国に住んでいても、イタリア人から見たイタリアと、外国人としてイタリアを見た場合はやはり違う。



イタリアで機能しないことに、まずその不便さに慣れてしまって、そういうところへ行くのを避けることを知っているなら、いいところを見るが、いくらプラス思考でも、欠点を一応は知っておかないと、物事のすべてを知っているとは限らない。


だから、イタリアの優秀な頭脳は、海外に出ていってしまう。グイドは、ココから先でのプラス思考なのだ。イタリアを拠点にしていると、鍛えられる。ベニーニの言うように、ココで多くのことが発明されたのだとしたら、彼らは、世の中が何かを必要としていたら、不満をもつだけではなく、何とかしようと使命に燃えるからである。何をしたら儲かるか。確かに誰もやらなかったことをやるほうが確率が高くなるだろう。ただ、イタリア人の偉いところは、人間的にヒトが何を求めるかを基本にしているから、より多くの人たちに認められるのだろう。


具井戸の事業が、イタリアを取り扱わなければ、イタリア人を対象にしている。今のところは、いつも「イタリア」に関わっているが、拠点は残しても、やがて、その外へと進出するだろう。


それが、人間的にヒトが何を求めるかを基本にしているなら、より多くの人たちに認められるのだろうから。