いや~ 久しぶりのブログ更新だねえ。というのは、ミラノを離れトレヴィーゾの寿司バー「YU」のオープンに向けて、グイドはまい子さんと、ミラノ在住で日本料理の料理人のSさんが、この時期うまいタイミングでフリーだったので、協力に来てくれ、3人で乗り込んだ。 オープニングの日は、寿司と刺身セットをおそらく200食くらい出しただろう。この日のお皿はレンタルのものを使った。60席の店内に入った人々の数は、おそらく300人はいただろうか。そのせいで厨房内は、まるで蛮族の侵入で崩壊したローマのような凄まじい有様で、翌日は臨時休業となってしまった。  

entrata interno

一日おいて2日、通常通りの仕事方法が始まった。Sさんがニギリ、グイドが巻物、まい子さんは、今回ホールを。ホールのイタリア人はスシとサシミの区別もわからないくらいで、パニック状態。寿司軍団の我々は落ち着いていたが、共同経営者の3人のうち二人は、自信喪失や不安、そのうちシェフのピエランジェロは自信を失わないものの、怒っていた。  



そんな中で、女性のまい子さんと、ひょうきんな料理人Sさんとのやり取りは、楽しい。 

大阪の辻調理学校出身のSさんは、その出身地のわりには、ひょうきんなので、グイドが3~5分おきぐらいにジョークを飛ばしたら、うまくノッってくれる。グイドのジョークは、文章では表せない。相手がいてアドリブで流れるものだからだ。TV向けかもしれないが、今のところイタリアのTVには出演してきたが、日本のTVで、この芸を披露出来ないのが残念だ。 グイドは「我々お笑い芸人は・・・」「僕ら俳優にとって・・・」あるいは「武道家」などの立場に置き換えてマイペースムードで、落ち着いて仕事を進めるよう勤める。イタリア人がパニックに弱い分、日本チームがリードする場面である。 

グイドとSさんは、日々コンサルタントとして貢献する。ある時は、魚のさばき方、天ぷらの作り方、寿司メシの作り方、メニューの構成、寿司バー用に必要な調理器具の購入などの指導に当たる。 



sushilesson


オーナーたちが、すでにメニューを作っていたものを変更させるのには苦労した。なぜなら、彼らは、我々コンサルタントが来る前に、印刷された立派なメニューを作ってしまっていて、変更するということは、それはすべて捨ててしまうことになるからだ。しかも一度前のメニューを覚えてしまったお客さんは、2回目以降も変更後になくなってしまったメニューをオーダーしてくるものである。ホールのイタリア人は、誰一人として「寿司」「刺身」の区別すら出来ないで、お客さんからオーダーを取るのだからたいへんである。 

sushiba2 chef guido Chef & Guido

そこでグイドは、ある日、「寿司とは?」「刺身とは?」というイラストつきの説明書を貼り付けた。これで「寿司」と「ニギリ」をくれという注文はなくなり、「寿司」の中に「ニギリ」や「巻き」があることを、ホールの人が、やっと理解してくれた。 コンサルタントは、このような環境の職場に、イタリア語も勉強中で、プロの調理師でない人でも、入れる寿司場はつくっておくことである。プロのSさんは、どの職人も、オープンで来るのは、たいへんなため、避ける人が多いのだという。しかし、そのたいへんを乗り越えたら「sacco di soldi(大金)を得ることができるのだよ」とまい子さんに教えていた。  


Sさんは、寿司づくりのインストラクターとしては、最高の仕事をしてくれた。そこには、業界の人だけが知るパフォーマンスがあったのだ。  お店に来るお客さんは、皆若くてお洒落である。雰囲気としては、「寿司バー」というより「ヒュージョン料理」そしてオーダーストップあと、深夜に入ると、DJが音楽のボリュームを上げ、まるで「ディスコ」状態になる。


tantagente dj
 


7日、まい子さんの出発日、グイドはミラノの空港まで送迎した。Sさんを残して。それをきっかけにグイドは、ミラノでの活動にも復帰することにした。就労時間はそれほど長くないにしても、グイドは普段の仕事時間は昼間、日本語教室があったとしても9時に終わるリズムよりもさらに夜型の生活から、また昼間の生活に戻すのも一苦労であった。 そして今日やっと、執筆モードに戻ったグイドは、このブログを更新した。