とんとん拍子にことが進んでいたかのように見えた。


TOZAI寿司教室がイタリアの新聞の記事として取り扱われたことにより、別の雑誌のカメラマンが取材を申し込んできたからだ。土曜日は、この取材のために前々から段取りしていた寿司飯と魚をロディーの寿司バーからお持ち帰りとして購入し、カメラマンの前で寿司を握るところを撮ってもらう段取りだった。

本来はお休みである土曜日のお昼に材料を受け取るということは、いくら親しい仲とはいえ、わざわざ出てきてもらうことになる。しかも、前日に打ち合わせしていた11時の約束には、その前の用事をいくら猛スピードでやっても間に合わないことがわかり、電話をして待ってもらうように頼む。カメラマンとの約束は昼の3時だから、そんなに余裕があるとも言えない。

しかも6時には別の仕事で二人の新婚ツールリストを空港まで送迎もしなければならない。「2時間以上もあれば十分写真が撮れるだろう」と思いながら3時になる。

多分遅れてくるだろうと、あと30分待つ。どこかで困っているのかもしれないと思い携帯電話にかけてみる。呼び出しているが出ない。1時間たつ。どうもすっぽかされる予感だった。

かれこれ用意してから3時間が経過し、屈辱を感じるのをまぎわらせながら材料を使って、寿司一人前を、お持ち帰りようケースにつくりながら、このカメラマンに感謝するように勤めた。「彼は来なかったが、あの取材申し込みから、彼を待っているまでの夢を見させてくれたのだ。これですでに『プラス』の何かがあった。この夢を大切にすれば、次には、今回の分をプラスしたもっと大きな『いいこと』があるはず。スッポカシ先生有難う!!」海外生活は人を仏教徒にさせるのか。あるいはこれに怒りを感じなければ「バカ」なのか。


グイドの人生の師匠バカボンのパパが言う。「バカだけど天才なのだ!これでいいのだ。」