うちの事務所があるとおりには、文房具店がとても多い。

その中でも、IT関係やグラフィック関係の製品を扱っているお店は、わがTOZAI文化協会の会員証で割引もある加盟店でもある。 

そのお店は、イタリアでよくある家族経営、夫婦と奥さんの弟が働いている。 

この若者はジャンニと言って、かなり人懐っこい。グイドは出会うたびにバールで一緒にコーヒーを飲む仲である。ある日、彼は「オレは仏教徒なんだ」と話してくれた。グイドはどの宗教団体かすぐに当てる事が出来た。日本のXXXXである。突然コーヒーが飲みたくなったとき、ジャンニのことを考え誘うつもりでいた。 


彼はいなかったが、事務所にいると突然ブザーが鳴り、日本女性が「情報誌を置いていきたいのですが・・・」と言う。 こうして訪ねてくるのは、アメリカの宗教団体++++に違いないと思って降りて行くと、やっぱりそうだった。朝からジャンニを通じて、新興宗教のことを考えていたから、すごい偶然だ。 


グイドの父が若い頃、上記のXXXXを信心していたので、グイドは子供の頃、仏教の本はかなり読んだ。イタリアの教会や絵画などを知り、観光案内をやっていたので、聖書も一通り読んでいる。イスラムのコーランだけは、ほとんど知らない。 人間の行動原則の正し手をユダヤ人は宗教に、ギリシア人は哲学に、ローマ人は法律に求めた。 


グイドは基本的にローマ人に同感だが、哲学も宗教もリスペクトする。 神の存在とは別に、宗教団体というものを客観的に見て、上記の新興宗教の布教活動の方法では、宣教する人にかなりのプレッシャーがかかり、その人自身が誰と会っても、それから「ああ、○○教の・・・」と言うレッテルは貼られるのはどうかと思ってしまう。 


カトリック教会には歴史があり、しかもイタリアをはじめヨーロッパの観光ではいつも教会を見に行くし、そのどれもが「これでもか、これでもか・・・」というほど建築様式や規模や美術品で飾っていると、ミケランジェロやラファエロの彫刻や絵を見に行くだけで教会に足を運ぶことになり、世界一大きな宗教団体はますます大きくなる。 法治国家の元祖ローマ帝国の土壌にカトリック教会という宗教が支配するようになっただけあって、ローマ帝国の運営が実に合理的だったのと同じに、そこで生まれた宗教団体は、まさに「宗教」と言うものを超えた運営のうまさには脱帽だ。 


時代が変わり、世界覇権国家は、アメリカになってしまったが、世界をリードしたOBであり、CAPUT MUNDI(世界の首都)のローマを首都とするイタリアは、経験豊かで貫禄ある奥深い賢者である。  これはこれでいいのだ。