別に日本人から、あるいは日本男性から見た意見ではなく、また外国人男性がもてはやすからでもないが、それに属す人がみんなそうだと言うわけでもないが、日本の女性はどこか違う。一口に「何が?」と聞かれると困るが、その評価は「美人」を競うものではない。世界のいろんなところで聞かれる「スペインとイタリアの女性は美しい」というが「じゃあ、見てやろうじゃねえか」と、挑戦を受けてしまう。(実際グイドは、本当にこの二つの国に住んでしまった。)「ギリシア、ロードス島の夕陽が世界一美しい」と聞くと「じゃあ、見てやろうじゃねえか」と、(グイドは実際見に行ってしまった)考えるのと似ている。いくら世界一が見たいと言っても、ビルゲイツに会いたいとは思わない。グイド的には「美」に魅了される習性があるからだ。米国が世界チャンピオンでも、個人的には、悪いけどそれほどの魅力を感じないのはそれが原因だ。米国が悪いんじゃなくてグイドこそ、それほど好きになってあげられなくて申し訳ない。でも、嫌いでもない。 さて、日本女性についてだが、良識と言うか、徳というか、躾や教育、風土、そして経済状況による環境のせいか、中身は一級品。そういう内面が醸し出すオーラのようなものを持っているのが「日本女性」だ。このようなブログを読むようになって、日本女性のブログを読むと「内面のなんと豊かな人たちだろう」と感じる。 中には、会ってもいないのに「この人は美人に違いない」とわかる人もいる。 地中海では、そうものが過去にあって、そういう「歴史」が、輪郭を作ってきたのだ。しかし、中身がなくては異性からの魅力は感じられない。そして、そういう社会をつくっているとしたら、時代と共に「美人」は消滅してしまうだろう。 グイドがギリシアを見た感想は「もっと美人がいると思った」である。古典芸術の彫刻の完璧な肉体をいったいどこのモデルを使ったのだろう?と思ってしまった。「最近の日本女性は綺麗ですね」と言う言葉を聞いたことがある。エステや化粧品でつくったサイボーグのことではなく、彼女らを取り巻く環境が作ったわけで、日本男児も、それに貢献しなかったわけでもないのだ。