着物柄1 着物柄2 着物柄3

  なんと言う運命的な出会い!!

  ここ数日、オートクチュールの仕立て屋さん講座のページをアップしていたら、着物コーディネーター、マルティーナが、グイドの事務所で仕事を始めた。

  話しがこんがらがらないように説明すると、オートクチュールの仕立て屋さんをスタッフのルカが紹介してくれて取材をしたのが、なんと去年の夏。あれから中止になっていたプログラムが今になって動き出した。  

 同時に、着物研究家のイタリア人女性で、大学の試験のために、今年の1月末までは缶詰状態だったマルティーナが、ちょうどこの時期試験が終わったのを機に、約60着の着物を整理しにやってきた。この着物もやはり去年の夏、あき子さんがいたとき、その知り合いが、空輸でミラノまで突然送ってくれた品である。

  

 グイドは、二つのことが同時にやってきたのは単なる偶然でないのは知っていた。グイドは、なぜか幼少の頃を思い出した。


  グイドが生まれた地方は、ちりめんの産地で、着物がある環境は普通のことだった。しかし、日本の各地を見てからあることに気がつく。


  日本人は、もう着物を着ない民族になってしまったのだ。


  ファッション雑誌では、確かにフランスやイタリアなどの「洋服」を着る世界を見せ続ける。日本では、過去の伝統である着物と言うものを着て仕事など出来ない、産業を優先した社会を作り、アイデンティティーを自ら破壊した。政府は、この産業に携わる業者に、援助金を与えて、機織の機械を引き取る方針である。

  つまり、わが国は、伝統の衣料など要らないから、勝手に仕事を見つけて生きてくれということだ。えてしてこういう産業は、何世紀あるいは、何世代と続いているもので、政府に見放された業界のものは、死ぬよりはまし、とばかりに職を探して大都市に出て行く。

  当然急速な過疎化、高齢社会、少子化社会の弊害をもろにかぶる。


  グイドが住んでいるミラノやリゾート地やシルクの産業の町で湖のあるコモなどを周辺に、ここでは繊維産業は未だ活発である。世界中から訪れる観光客がボートで湖を遊覧する。王侯貴族に由来し、今でも有名人たちが所有する豪邸の別荘をため息と憧れの眼差し出見て回る。

  有名ブランドのシルク製品を探す客で、アウトレットショップはいつも繁盛している。

  カラフルな建物、湖の見えるカフェで余裕のコーヒーを飲む、地元の実業家や人生の成功者たち。

  文化普及の面での勝利者は、今でも経済大国ニッポンではなく、衰退しつつあっても、生活スタイルをこれほどまでに世界中に普遍的に広めた西洋諸国ではないか?

  

  幼少の頃、実家での記憶は、いつも母が自宅の一部屋を使って、2台のミシンで裁縫の仕事をしている姿だ。いつもいつもミシンの音が聞こえた。うちはちりめんの伝統とは無縁の家庭なので、母は洋服を縫っていた。漠然と、洋服を作る仕事に憧れたことがある。しかし、当時の環境には、洋服のデザインをするというような発想はせず、何かを生み出せる仕事がどこかにあるはずだと考え、それで日本国内を回ったのである。


  マルティーナは、午前と午後、昼食をはさんで着物を仕分ける。着物の柄を漢字で書きたい、と花の名前を漢字で書いてやる。着物について恐ろしく詳しい。彼女のイタリア人女性の友達も着物に詳しいと言う。

  

  正確な分析なんてことは面倒なので、この時不思議な連想を思い浮かべた。

ちりめん→洋服→ミラノ、コモ→着物→ちりめん

  フロイトもユングもさておいて、グイドはグイドの個人的に自分自身を発見した。

  

  よし、3月3日の雛祭りは、予定している「KIMONO SHOW」を成功させよう。


  サイは投げられた(カエサル)