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  実はグイドは、マンガ少年だった。マンガを読むことはもちろん、ストーリーマンガもつくったことあるし、アニメーションの制作方法を知っていたら、つくってみたいとずっと考えていた。

  そんなわけで、「将来何になりたい?」と聞かれると「漫画家になってアニメもやりたい」と答えた。でも、両親なんかは、そういうものが仕事としてあるなんて想像できないひとだったので「絵が好きなら画家になったら?」なんて言ってたくらいだから、グイドにとって、ずっと遠い世界だったね。

  今だったら「絵やデザインが好きなら、工業デザインかファッションデザインはいいねえ」と勧めてくれたら、別のルートでミラノにやってきていたかもしれない。


  古典絵画も、もちろん興味ある。イタリアでは、ミラノの「最後の晩餐」や「ブレラ絵画館」、メジャーなフィレンツェの「ウフィッツィ美術館」ローマの「バチカン美術館」などなど、「自分の観賞用」優先ではなく、「観光客への案内」という、やはりここでも人とは違うやり方で(しかも自分は払わないでかえってお金をもらって・・・)入っていくのがジンクスになっているグイドであった。

  ダ・ヴィンチ、ミケランジェロ、ラッファエロ、ヴェロネーゼ、ティントレット、カラバッジョなどなど、世界的に有名で、崇高で、高価な絵を、まるで近所の公園へ散歩でも行くように、そして自分の作品でもあるかのように人さまに説明をしてきたのを考えると身震いがする。


  人に注目されて優越感を感じたく、それでいてなんでもない顔をしたがるグイドは、この仕事も気に入っている。ガイドの仕事の相手は日本人だが、一方イタリア人から褒められて優越感をくすぐられる方法はガイドをやる前から知っていて、イタリアの来た時からはじめていた。

  それは「日本の誇りに出来ることを紹介する」である。

  

  日本の電化製品や車が海外に出回っている事だってそうかもしれない。言っちゃ悪いが、今の中国人には、こういう気持ちを感じることはまだ出来ない。

  SUSHIでもSHIATSU、 FUTONもそうだが、日本のイメージそのものを、特に若い世代から覆したのは、マンガとアニメだ。


  イタリア人たちが、尊敬までしながらアニメ鑑賞会をやっていることを 先日のブログで書いたが、そんなアニメのビデオを見ながら、若き日のイタリア人と過ごした日々を思い出しながら、グイドの文献に、イタリアで発行されている日本のアニメの歴史を紹介した本「ANIME AL CINEMA」を引っ張り出してきて、このアニメというものが、外国人が日本をイメージする役目を果たしてきた以前に、我々日本人が子供の頃から世界を見るためにサポートしてきて、このアニメのイメージは、本当に海外に出てからもずっと残っているものだと発見した。

  

  この本では1917年から1995年までのアニメが年代ごとに、そのスタイルを変えていったことを物語っているので、イタリア人の目からアニメを通して日本を見ている本によって日本の若者がどんなアニメを通して世界を見せられてきたかを、ここで振り返ってみよう。


初期:のらくろや桃太郎、猿が島など、おとぎ話の延長だった。


あの手塚治虫氏がすでにデビュー「新宝島(1947年)」発表。


手塚治虫氏の黄金時代。「鉄腕アトム」放送


手塚氏の弟子たちの活躍。石ノ森章太郎の「サイボーグ009」横山光輝「鉄人28号」藤子フジオ「おばけのQ太郎」など、


ロボットなどが登場するSFによって科学の時代のシンボルとなり、家電が家の中で活躍した。


 「ジャングル大帝」「悟空の大冒険」「リボンの騎士」で、それぞれアフリカ、中国、ヨーロッパと海外が舞台となる。手塚氏のマンガやアニメに登場するキャラクターは、西洋人的である。海外では、映画制作で、その国の俳優を使っても国際スターになれたが、日本人はアニメによって外国人俳優を使ってきたようなものである。  


  一方「どろろ」「カムイ」などで、日本のむかしを舞台にしてきたが、キャラクターの目は大きく描かれ、まるで外国人が日本人役をやっているようなものだが、アニメの世界では当たり前になった。

  これを機会に、日本人は、自分を西洋人的な顔の主人公にする癖がついた。


  「ドラえもん」「魔法使いサリー」「おそ松くん」「ゲゲゲの鬼太郎」


  この頃、魔法使いとか、妖怪などの現実にはない空想の世界そのものの存在を発展させた。ドラえもんはロボットと言っても、ありえない便利な世界。おそ松くんをはじめとする赤塚不二夫氏のギャグは、吉本新喜劇か漫才みたいにナンセンスな笑いと現実にいそうでいない人物の登場がおかしく、クラスメートにもへんてこなあだ名をつけた頃だった。


  「巨人の星」「アタックナンバーワン」「明日のジョー」で、スポーツに熱中した。どんなスポーツをしても、これらのアニメに登場するキャラクターのマネが流行った。


  「ルパン3世」「キューティーハニー」「デビルマン」らは、大人も喜んだ。セクシーな女性やチラリやガバッと裸が登場することによって、少し大人の世界を覗く気分が味わえた。

  「マジンガーZ」の時代のロボットは、破壊的で、格好よさが重要視された。


 「海のトリトン」「アルプスの少女ハイジ」の時代、海外の文化がアニメのタッチによってごく身近に感じられた。トリトンはギリシアの海の神ポセイドンの息子。ハイジはスイスに実際にあるお話。

 実際、このアニメを見てハイジのことを知ったイタリア人は多い。イタリアでは、ムーミンを知る人はほとんどいない。あの本場フィンランドでも、日本人も観光客によってムーミンは一躍国民的スターになった。

  

  「宇宙戦艦ヤマト」の頃、宇宙の夢が身近なことになった。


  「ベルサイユの薔薇」「キャンディーキャンディー」で少女漫画がブーム。日本の女の子は、自分を金髪で青い瞳で、まつ毛が長い思い込むようになった。この少女漫画は恋愛はつきもので、相手は背が高くて、ハンサムで、クールで、このイメージは潜在的に西洋人を憧れるようにさせた。


  「うる星やつら」「ザ・かぼちゃワイン」「みゆき」は、セクシーキャラクターやかわいい系の女の子をまるで実在する人物のようにアイドル化した。ストーリーは、ナンセンスな「うる星奴ら」の他は、まるで学園ドラマみたいな真面目で、少しエッチ。アニメ化されていない漫画で、中学生から高校生の時に「1、2の三四郎」は、格闘技の面白さを紹介しながらも、女の子を追いかけるナンパさも兼ね備えて、新しい若者のあり方を表現した。いずれも、巨人の星時代から考えるとナンパなことが楽しいと悟らされる。この洗礼を受けた日本男性は、イタリア人と共通する感性を身につけた。しかし「うる星やつら」のあたるや「1、2の三四郎」の三四郎や仲間たちのようなニヤケ顔はマンガの世界だけにしないとヤバイ。


 ジブリ時代「風の谷のナウシカ」「となりのトトロ」など宮崎駿氏は、名作をつくり、アニメはもはや映画と並ぶ。最近ヴェネツィア映画祭で「ラピュータ」が発表されたときも、イタリアではホンモノの映画ほどの反響だった。


  アニメはAVの影響によって、ホンモノのAVと並ぶこともある。ブルースリーから始まって、スタローン、シュアルツネッガーのようにマチョが映画で登場したあとアニメの世界では「北斗の拳」が、グルメ番組のブームの頃「おいしんぼ」が、と言う風に、こうしてみるとわが国はアニメと共に戦後発展したアニメ王国だ。


  英語圏の留学は、キャリアのためなどもあり20代の人が多いが、イタリア、スペインに来る人は、留学と言うほどもなく、なんとなくやってくる人も最近多くなってきている。

  30代に入ってやってくる人、たとえば社会人としてOLをやってきたが、人生を変えると言って、会社を辞めて、東京のワンルームマンションを引き払ってスーツケース一つでやってくる人も多い。

  正確に説明はできないが、我々日本人それぞれが漫画かアニメのキャラクターを演じて続けているような気がしてならない。