自分の目 著者の目ン玉


  ヨーロッパにもたくさんの人種 が移り住んできている。どんな小さな町にも外国人が働いている。特にアフリカの黒人たちは、ゴミ回収や公告配達など、ろくな仕事はないようだ。イタリアでも、まず、イタリア人、ヨーロッパ人が社会敵地地位の高い仕事に就くべきだと考えている。ヨーロッパ人にとっては、アフリカやアジアででも、彼らが社会的に地位の高い仕事の就くのが当たり前だと思っているだろうけど・・・。

  ヨーロッパ人と黒人は歴史的にも長い付き合いだ。そして、その地位は未だ変わっていない。奴隷制度が廃止されても、地位の高い仕事をもらえることはない。

  我ら日本人は、中国や韓国の人々と共に「アーモンド目(Occhi a mandorla)」と呼ばれる。私達が日本にいるときには、考えもしないことだが、日本人のほとんどが切れ長の目に見えるそうだ。これは、西洋人たちと共に生活を始めて気づかされる。イタリアでは新聞にだって「切れ長の目のピッツァ職人誕生」と言う風に書かれる。


 日本で教えられたのは、「人種には白人、有色人種(黄色人種、黒人)などがある」ということだ。日本人も有色人種だから、この手の教育を受けた人々は、白人より劣る人種と思っている。

 だけど、この情報化社会で、色付けされているものの、日本の情報もよく入るようになった。しかし、彼らと“同じ”には、まず置かれない。考えたくないだろう。しかし、その反面、それが、物事によってはいいこともあるのだ。

 アーモンド目と日本人と見分けできる服装は「礼儀正しい日本人」の看板だ。イタリア人は彼らが所有するアパートを貸すなら日本人という人が多い。観光地に行くと日本語で呼び込みされる。(あんまり嬉しくもないが、無視されているよりはいいお客と見ている証拠)イタリアの製品を売ろうとしている会社などに訪問すると、日本人だと、目の色を変えて売り込んでくる。購買力のお陰だろう。


 本来、美の基準とは変わり続けるもので、西洋の勢力が絶対的に強かった時代、西洋人の顔がどんなのであれ「美しい」と思い込まされてきた。平均的に背が高いのも、優越性を感じさせられた要素のひとつだろう。


 話は戻るが、日本人が、いくら洋服を着て(着物ではなく)車に乗って、携帯電話を持って、高層ビルの中に暮らしてもヨーロッパ人が我々をアメリカ人と同じには見はしない。アメリカ人の先祖はヨーロッパ人であり、我々は「アーモンド目」の人種だからだ。


 最近中国が目立って進出してきた。実は西洋諸国の企業は、どこも中国中国の話で持ちきりなのだ。無理して白人になろうとせずに新しいイメージの「アジア」をつくったらどうだろうか?

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