日本 イタリア地図

 ラテン系と言うと、普通「明るい」「アバウト」「よくしゃべり、よく笑い」という、まるで、ある人物のことをよく知っているごとくイメージが普及しているが、そもそもラテンとは何から来ているのだろうか?

 

 紀元前8世紀頃のイタリアには、ケルト(ガリア)人、エトルリア人、ラテン人、サムニウム人そして、ギリシア人らが住んでいて、のちに地中海を制覇するローマ人はラテン語を話すラテン人。その周辺をラティウムと呼んだ。地中海の東側ではギリシア語の通用度があまりにも高く、ローマ帝国はバイリンガルだった。

 ローマ人は、エトルリア人はもちろん、いまだ蛮族が住んでいたガリア(現在のフランス、スイス、ベルギーなど)、イスパニア(スペインやポルトガル)、ブリタニア(イギリス)やゲルマニア(ドイツ)を征服し、それぞれの土着の言語にラテン語の影響を及ぼし、それが進化し、英語、フランス語、スペイン語、ドイツ語などになった。イタリア自身もラテン語から離れた言葉を話しイタリア語が生まれ、伊、仏、西、葡には特に影響を与え、ほとんどラテン語の面影を残すことから「俗ラテン語」と呼ばれている。


 コロンブスがアメリカ大陸を発見して以来、メキシコから南の国々では、スペイン語、ポルトガ語という「俗ラテン語」を公用語にしている国々を「ラテンアメリカ」という。確かにスペイン人、イタリア人、ポルトガル人の移民が多いのは確かだが、ラテン人の末裔というには、その血統からして無関係に近い。


 現在ラテン語を一般会話で使う人はなく、「僕はラテン系というくらい明るい性格でね」というのは、南米のイメージを指しているのが一般的だろう。それ自体は自慢できることではない。


 多くの文献によると、本来のラテン人であったローマ人は、妙なところで日本人との共通点を持っていたそうだ。そして、現在のイタリア人はどちらかというと他のヨーロッパ諸国の習慣に近く、これはローマ帝国崩壊後に蛮族であった人たちが支配してきたことやキリスト教の影響などによるだろう。


 日本人との共通点とは

1、温泉好きで、浴槽に浸かりよく体を洗った。

2、肉はほとんど食べず(今の日本人の方が欧米化している)小麦や魚などを主食にしていた。一方、蛮族のバリア人やゲルマン人は肉をよく食べていた。

3、道路は左側通行だった。

4、家族での男の意見が強かった。(現代イタリアは逆)

5、お見合いのように、親が結婚を決めるのが一般的だった。

6、家の中にあまり家具がなく、また、シンプルな服装をしていた。

7、名誉を重んじるゆえ、恥を世間にさらすくらいなら自害を選んだ。(日本の武士道、切腹に似ている。自殺は地獄へ送られるという考えもキリスト教以来)

8、あらゆるものを神と信じる「多神教」民族だった。(日本の神道、または仏教や神道、キリスト教まで一緒くたにする日本人をも当時のローマ人なら理解できただろう)

9、平均身長は男165cm、女155cm(もちろん現代はイタリアも日本も平均身長は伸びているが)当時からヨーロッパでは小柄な民族だった。

10、組織力に優れて、組織で動くことに優れていてことで、エトルリア、ギリシア、ガリア、ゲルマンなどと戦っても勝つことが出来た。(現代イタリアは、ヨーロッパでもこの部分が特に劣っている)

11、亡くなった人を火葬する。(現代イタリアは、大部分は土葬)


 これらは見ると、当時のラテン人のイメージと、南米を指して「ラテン」というのとは違うものだとわかる。もちろん、2千年前とは、価値観も変わっている。

 ラテン人とはもともと民族の名前だから日本人を「大和民族」というのとかわらない。もしも、2千年前にローマ人と現代の日本人が出会えたら、この二つの民族は、共感しあっていたかもしれない。


 そんな想像をしながらイタリアにある現代と過去を探ってみると、一度崩壊した文明をアングロサクソンではなく、大和民族の手で復活させていたとしたら、世界はまた違うものになっていただろう。(一般に常識とされているのとは反対に、我々の方がよほど平和を愛する民族だと思うのだが)。


結論・・・

「ラテン・ヤマト人」になろう。