遠い国のことになると、やたら表面的な情報が入ってきて、なんでも先入観で見てしまうことが多い。 

だからこそ日本では、「イタリア男性と日本女性」のカップルを限定してしまい、「日本人男性はもてない」「イタリア人女性は気が強い」という理由で、「日本人男性+イタリア人女性」というカップルは少数派に属する。 
 なんでもそうだが、少数派にこそ真実があることも多くある。  
まず、我々日本人にとってイタリア人はどんな存在か?男女とも格好いい。男性はハンサムで、女性は美人だという。みんなお洒落で、男性は女性に優しい。そうなると、日本女性は、本国で虐げられている(?)だけにイタリア人男性に票を多く入れる。日本でも男性がお洒落に気を使い、それをうまく表現して、平均身長が伸びて、お腹が出ないように努力すれば、追いつき追い越せるだろう。女性にとって男性のアソコの使い方ではなく、その大きさにこだわるなら別だが、実際の意見は「なぜそうなのか?」ではなく「どうするか?」だというのが人形ではなく生身の人間である所以である。  

オレが、女性をとっかえひっかえするプレイボーイだというのではないにしても、日本人女性をはじめ、イタリア人女性数人や他の国の女性との恋愛体験、セックスを経験した範囲で言えるのは、「イタリア人女性は、セックスに対して、積極的でしかも優しい」と考える。  

 日本人女性の多くが、北米、南米という新大陸の考え方に近い人も多く、男のテクニックを採点する立場になろうとする。それでいて日本人女性特有のセックスには、人形の様に受身で、なされるがままの人が多い。友達によるとこういう女性を「マグロ」というらしい。 協力はしないわ採点するわでは、まるで教習所の試験みたいなものだ。ここまで書いて「そうして来たのは、日本人男性のほうでしょう?」と言うかもしれない。それでは歩み寄れない。セックスはお互いに協力するのであり、社会が進歩すればセックスも進歩するものである。  男性が、「自分さえ満足すればいい」という考えでは話にはならないが、そのつもりがなくても、自分の意志に反してカラダの方が機能しないことだってある。相性にもよる。 これまで知り合ったイタリア人女性は、そんな時「ちょっと休もうよ」とか言って、オレの腕枕でいろいろおしゃべりしてくれ、うまく行かなかった事をそれほど気にしない、気にさせない。こうなれば逆にうまく行くものだ。  日本では、なんでも「勝ち組」と「負け組み」に人を分別するのが流行っている。それではヒトラーと変わらないではないか?人は試験にパスした人と、しなかった人に分けられるわけではなく、その人の個性と適正によって、それぞれの配置で生きてゆける場所を与えるヨーロッパ社会と、その考え方の違いではないだろうか?  我々がイタリア人から得られることの一つに、彼らは、楽しむのがうまい。
教え上手だし、教えられ上手である。だからこそ、その楽しみのあとに、男性同士、女性同士で報告しなくていい。本人に直接言うべきである。 アユタク (絵はミロ・マナラ)