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2011年夏のシーズンを終えて

今日は、8月28日(日)の合唱団ボイスフィールドの定期演奏会を終えてから、一週間なります。
遅くなりましたが、ご来場の皆さま、どうもありがとうございました。
また、ともに出演された方々、スタッフの皆さま、お疲れさまでした。

今こちらでは、台風が遠ざかりつつあり、雨は降り続いていますが、雨脚は徐々に弱まり、
雲も高くなってきています。
最接近の昨日は、大事をとり、チケットを送って頂いていたコール・マイスさんはじめ、
どこの演奏会にも聴きに伺いませんでした。暴風圏でいろいろ警報も出ていましたので。
おそらくはその中でも決行されていたと思いますが、不義理申し訳ございません。

さて、今年のボイスフィールドの演目に対しては、個人的にはあまり乗り気ではありません
でした。少なくとも、去年・一昨年に比べては、ですね。
大勢メンバーのいる合唱団という組織で、それぞれ背景となる好きな音楽の範囲が異なる
者が何となくの中心軸の周りに集まっているわけで、毎年同じような関心の強さの曲、
同程度にやりたい曲が選曲されるわけがなく、それを承知で参加しているわけですが、
その当たり前の波の中で、今年はちょっと盛り下がる年に当たりました。

特に、最後に演目の決まった第二ステージ「ことばあそびうた・また」については、
自分にとって決して容易でない曲なのに、取り組むモチベーションを最後まであまり
上げることができず、苦戦しました。

今年は、選曲過程が若干迷走気味、指揮者さんたちに迷いの多かった印象があります。

「世界のうた」枠で南米を選ぶ前には、アジアなど他地域の曲を何曲か試しましたし、
南米と決めて楽譜を買った曲の中でも、半分くらいしかステージに使いませんでした。
冬にかけて、使わないのに練習してみた曲が何曲もありました。
「スピリチュアルズ」も、人数の必要な曲だけに、指揮者は慎重に検討していました。
決行すると決めたのは、多分、暮れかお正月の頃だったと思います。

ブルックナーのモテットのステージも、すぐにあの曲目で決まったわけではありません。
他には「Vexilla Regis」も配って練習していました。
「ことばあそびうた・また」が登場したのは春、四月頃に漸く決まって、実質的には
五月頃からの練習だったと思います。それまでは、木下牧子作曲の「光はここに」が
検討されていて、冬の間は何度もそれを歌っていました。

東日本大震災の影響もあって、オープニングやアンコールの選曲も二転三転しました。

そのように選曲面で少し遠回りした他に、今年は指揮者さんたちが忙しかったり、
間の悪いご不幸事があったりして、練習に来られない時間が長めだった印象もあります。
本番を振らない第三の指揮者が代役をする場面が結構ありました。
今思うに、彼を今年のMVP候補に推してもよかったかもしれませんね。名前出すだけでも。

指揮者さんが忙しくして、種々の縁を広げてくださったり、多彩な経験をまたこちらに
生かしてくださるのはいいのですが、時々、私としては「ご自身で選んだ楽譜くらい
ちゃんと読んで練習に臨んでくださいよ」と思わされる場面があったのが残念です。
名誉のために、ここでは具体例は出しませんけれど、でも歌い手が初見で分かることを、
なぜ配った指揮者が分かってない? いや、もちろん「お前は配られた楽譜をちゃんと
歌えるようにして練習に臨んでいるのか?」と言われると言い返しようがないのですし、
きちんと反省はされているとは思いますし、その指揮者さんたちが居ないともっと困る
わけですけれど、そのために練習時間に空疎さが増す感じが私にはしました。

私個人の体調としては、過去二年より良いシーズンだったと思います。
ただ、晩夏とはいえ、暑い盛りに定期演奏会があるのは、あまりいいコンディションでは
ありませんけれど。
今年は、あらかじめ2.5リットル分のミネラルウォーターを装備して本番に臨み、うち
約2リットルを実際その日に消費しました。酷暑の去年よりはましでしたけどね。

ただ、気分的には、どちらかと言えば抑うつ的だったと思います。
私自身、今年の震災からは、直接の被害は何もないのですけれど、春のコーラスめっせでは
「こんな曲目を歌う気になるものか」と思いましたし、重々しい空気感を感じていたのは
事実です。

鑑賞した演奏会・公演等について、ここに書く意欲も低下していました。
いろいろと有意義なものがあったのですけれど。

ただ、これ以上停めておくわけにもいかないので、とりあえず投稿する次第です。

[鑑賞]「タゴールの目指した美の実現」

去る7月10日(日)、神戸の賀川記念館にて、ラビンドラナート・タゴール生誕150周年記念の
行事の一環として、「タゴールの目指した美の実現」と題したイベントが行われました。
「タゴール生誕150年記念会」という、有志連合的な匂いのする名称の団体が主催でしたが、
その事務局の所在地からしても首都圏が中心で、関西のインド好きを幅広く巻き込んでは
いなかったような印象を受けました。印象だけかもしれません。

私は珍しく、クルタ姿で出かけました。
準備中の4階に上がって、しばらくするとソフトケースに楽器を入れたジミー宮下さんが
ご登場。板倉さんの踊りの伴奏にジミーさんの音が入るのだということを、ここで初めて
知りました。

会場は弱いながら冷房を効かせており、席には適度な余裕があって、それなりに快適。
司会進行は、大阪大学の学生さん、と言ってたと思う、女性が2名。
#大阪外大が阪大に合併されて何年でしたっけ?
ベンガル語と日本語で交互に話す進行でしたが、ほぼ淀みなく、聴きやすい声で進められ、
十分な準備が感じられました。気持ちよい進行だったと思います。
#ただ、ベンガル語でないと分からない参加者がおられたのかどうかは疑問です。
 日本語で行われた講演は通訳されなかったわけだし。
他にも、朗読や歌や踊り等で、阪大の学生さんが数名参加されていました。

いろいろ省略しますが、前半は、野呂元良・元コルカタ総領事の、「タゴール哲学の
現代的意義 精神のグローバリゼイションを求めて」と題する講演。
日本語ですが、耳の悪い私には聴きとりづらい話し方をされる方で、語尾の脈絡を取るのに
疲れました。現代日本でのタゴール哲学の意義として、「精神のグローバリゼイション」を
キーワードとされるのは、終盤やや駆け足だったことと相俟って、私にはあまりピンとは
来ませんでした。十分に格調高い語り口だったのは良かったと思います。

そのまま続けて後半へ。詩の朗読とか、それに合わせた舞踊、BGMとしての宮下さんによる
サントゥールの音。モノによっては、スピーカーで録音済みの音を流した上に重ねる
サントゥール。
朗読は、日本語を大場多美子さん。そして、ベンガル語で繰り返した方がおられましたが、
お名前を控えてはきていません。「ギーターンジャリ(ギタンジョリ)」が世界的に有名に
なったのは、R.タゴール自身が英語で書き直したものの出版が評判を博したためですが、
その英語版を朗読するということはありませんでした。
「100年後」という詩の日本語訳(森本達郎訳)は、客席含め会場一同で読みました。
また、日本の歌「ふるさと」をベンガル語に訳したもの(即ち「ジョンモブミ」)も、
この最後の方で、会場一同で歌いました。溝上富雄先生の訳、と言っておられたと思います。
私も一応、ベンガル文字の形くらいは分かるので唱和を試みましたが、どの音符にどの
音節が割り振られるかの歌詞割が明記されていなかっため、困りました。前で歌っていた
学生さんたちも混乱していたように見受けられました。
板倉リサさんの舞踊は、白い光そのもの、アプサラスでも舞っているのかと思われました。
手の形などは、インド古典の伝統型に則っていたものと思います。
サントゥールの音は、せせらぎの音のようでしたが、時々、朗読の声を邪魔してしまう
ように感じられました。即ち、コトバの重要な子音と同じタイミングで楽器のアタックが
来て、注意力を持っていかれるというようなことです。

最後に、国際平和協会の方や、主催の代表の方、そして、タゴール暎子さまからも、
ご挨拶をいただきました。
これから50年後、生誕200年って、私もさすがに生きてはいないだろうと思います。
精神を引き継いでお祝いできそうな方々というのは、若い学生さんくらいでしょうね。
ピンと張りつめた敬虔さと、そこから滲む神性のようなものが好感の持てるイベントでした。

[鑑賞]天の川ものがたり

いろいろと書いていないことがありまして、今年の関西エスペラント大会も終わり
ましたし、所属する合唱団の一員としてNHK大阪に収録に行くという出来事も
あったのですが、昨日のことを忘れないうちに書きます。

大阪ドーンセンターホールにて、7月3日(日)13:30開演、
「東日本大震災によせて インド舞踊へのいざない 天の川ものがたり」と
いうイベントがありました。
ギータンジャリを主宰する櫻井暁美先生が、「天の川ものがたり」という舞踊劇
(13年前に創作初演)をメインに置き、その前に、インドから招聘したダンサーの
ソロの演目を置いて組み立てたステージで、櫻井先生がお住まいの交野市の
市制40周年ということにも掛かっておりました。
(交野市には「天の川」があり、七夕伝説にゆかりの地)

自分の所属する「ギータンジャリ友の会」の主催イベントであり、馴染みの
インド舞踊家が何人も出演され、そしてインドからの来日もあるということで、
他にもいろいろあるにも関わらず、期待して観に行ったのでした。
(※出身大学の現役たちの参加するジョイントコンサートや、所属合唱団の
演奏会案内の発送準備や練習などよりも、これを優先させました)

開場時間前から少なからぬ人がホールロビーで入場待ちしており、
最終的に満員にはなっていなかったようだけれども、客席はまんべんなく埋まった
印象を受けました。

第一部が、バラタナティヤムの古典物。
来日したSaju George氏と、J. Krishnakumar氏が、交互に、合わせて4演目を
踊られました。計一時間ほど。
案内役は、櫻井先生と、毎度おなじみとなった辻井氏。
何やら急遽上演順の変更があったみたいで、長々と前振りした演目が直後には
踊られないということがあり、いかにもハプニングでした。
Saju氏はイエズス会の神父さんということで、曲調や振付は古典の様式に則り
ながら、聖書からの題材をタミル語の詩にしたものを踊るという、これまでに
見たことも聞いたこともないことをやってくださいました。
聖書の譬え話でインドに共通するものも多いとはいえ、驚かされました。
願わくは、もう古典物ばっかりで2時間・3時間やって欲しかったのですけれど、
そういう舞台はかえって稀少かもしれませんね。

15分の休憩を挟んで、第二部「天の川ものがたり」。
この第二部自体も、三幕構成にプロローグとエピローグの付いた長大な構成で、
一幕と二幕の間に15分の休憩を挟みました。
カタックのナリニ=トシュニワルさんたちのグループが、プログラムには
載っているのに出演を辞退なさったらしく、その辺はちょっと淋しく思いました。
ギータンジャリ以外にいろんな団体が客演されるのも、櫻井先生の企画の特質で、
今回もいろいろありました。
オリッシーの村上幸子さんと、仲香織さんのグループの両者(つまり流派違い)が
一緒に踊るのは今回はまだ普通な方で、日本空手協会交野支部の小学生拳士たちが
堂々の演武を披露する場面や、マレーシア民族舞踊団チンタ・サヤンがインド音楽の
伴奏で何やらする場面もありました。
来ていただいてこれだけかよ、とかちょっと思うくらい、贅沢な踊り手遣いでした。
寄せ集めのため、転換というか、継ぎ目を中心に粗い部分が見え隠れするのですが、
各演目にはいると、専門の踊りの部分は特に、惹きつけられるものがありました。
一幕第二場で、虹の精を演じておられたダンスコアポシブルの皆さん(ベースは
バレエ?)の演目途中で、音楽が消えてしまったのはハプニングだと思いますが、
その後相当長い時間、慌てることなく無音のまま舞い続けられたのは記憶される
べきことかと思います。

私としては、自分の大きな本番が徐々に近づいてはきていますが、その準備が
できていないことをよそに、この夏もインド音楽・舞踊を楽しみたいと思います。
8月6日の仲香織さん・Joice Liさん・マユリ=ユキコさんたちの心斎橋での
ステージは、行きたいもの第一。
7月24日の「太古のひびき」ですが、タブラーで予定されているチントゥーこと
アシュヴィニ=クマール=ミシュラ氏の頚部ヘルニア云々が大いに心配です。
住吉のうはらホールですけど、これは合唱練習二つと重なるので、行けても
序盤の舞踊だけで失礼するかもしれません。残念。