おはよう。
valです。
いい加減に私らしくを
ハッキリとしようと思います

なんかすごくイライラしてさ。
最近イライラする事多くない?
笑
はぁなんでやねん
って考察してたら
やっぱり根底にあるのは承認欲求と寂しさ。
また自分のケツヌグイを
他人様にぶち撒けてたか…
なんて思ったんだけど
誰かに責められたわけではなく、
自分を責めているのはいつも自分。
心で思うのは自由だしね。
実際求めたわけでもない
(オーラは出てたかもだけど、知らんけど笑)
得も言われぬ不足感。
自分らしく居られれば、
満足するんじゃなかったの…?
ここ2年くらい
ずっと気をつけてきたことなのに、と。
自分らしくってどういうことなのか?
そもそもそこから考え直し、
『自分らしく』と『自分に甘い』ことは
真逆なんじゃないか?という事に行き着きました。
あらゆる本や敬愛する人の言葉は聞けるのに
なぜ自分の言葉や感覚には素直に従えないのか?
なぜ自分の言う事が聞けないのか?
それは自分に甘いからだと
だからこそ自分への
圧倒的信頼が起きないからなんだって
閃きから感じた。
圧倒的自信の欠如は爪の甘さからだ。
"この程度"を許す自分である事に
本当は心からOKを出せてない。
グレーゾーン
曖昧さ
流れるように生きる
自分の感覚
大切に、って言われてきて
きっとそれは自分らしさに繋がるから
大切にしてきたつもり、だけど
真意を取り違えていたのかな?という仮説。
心からその状態を許せていないのに。
だから自信なんて生まれるわけないさ。
許す努力って必要か。
頑張らなくていいらしいけど
頑張りたいなら頑張ってみたらいい。
頑張る事が楽しくて生産的であれば
それは努力や頑張るのうちに入らないさ。
大丈夫よ。
よく人から言われるのは
楽しくてやってる事に対して
頑張ってるねとかスゴイとかよく努力したね、とか。
それは食事だったり仕事だったり
色んなこと。
そう言われて悪い気はしない、けど
頑張ってるとか全くそんな意識はなくて
むしろ楽しいから最高に没頭してるだけ。
それは"頑張ってる"事なんだって
私の基準を置いて行きぼりにして
他のの基準に合わせて
"これは頑張るべきこと"なんだという
セルフイメージを作り上げていた自分に気づいた。
忘れないようにしたいのは
"この程度"は誰かの努力。
誰かの"その程度"は私の努力。
幸せの尺度
価値観
能力
人はみんな違うってことを
必ず念頭において他人と接したいとおもう。
いつでも唱えて(笑)
忘れないように頭に魂にに染み込ませて
変に謙らず
自分の尊厳を大切にしつつ
相手の尊厳も感じて
それでいこう。
