得たもの、得てきたものよりも、失ったものを意識する方が、前向き、建設的に生きられる気がする。

そんなことをふと思った。

覚書として。
異動から1年が経過した。


それでも、社内でかつての部署の関係者と出会うと今の部署について「どう?」と尋ねられる。
前の部署もかなりの大所帯だから、出会う人も多く、結構な回数、尋ねられる。

で、それはいいとして、「どう?」の次に言われるのが、
「痩せたんじゃない?」

だ。
いわく、異動して顔がスッキリしたらしい。

もともとそれほど太っているタイプじゃない。
体格的には、背は低く、骨太。顔は小さく脚は短い。
O脚だが猫背ではない。

こんな感じの体型で、別に異動してから痩せたという実感はないんだよな・・・
むしろ、加齢によって体型維持が若干難しくなったと思うくらいで。

前の部署にいたころに比べて髪を伸ばしたからだろうか、などとぼんやり考える。


ただ、一つ言えることは、やはり編集という仕事は、太る人はとことん太る。
不規則な生活とストレス、あとは接待が多い部署の場合は旨いものを食べる機会が多い。

そんな材料がそろっているからだ。旨いものは大抵太る。

そしてその状況にはまり込むと大変なことになる。
僕の同期は、1年間で25キロ太った。

たぶん、①酒を飲む②変なリズムで食べる③寝る前に食べてストレス解消④たくさん食べる

①と④はともかく、②と③は完全にこの仕事だから起こりうること。
僕は①、あと少々④も満たしているので、②と③だけには気を付けている。
④対策としては、野菜をたくさん食べるようにしている。


結局、どこまで自意識というか美意識をもてるかだよな・・・。






昨日からずっと頭の中を支配していた問題が、自分の中で解決した。


結論は「仕方がない」。
それだけだった。すべては起こるべくして起きた。

そして、そのような状況を作り出していたのは、他ならぬ僕自身だった。
であれば、仕方がないと捉えるしかない。
責任は僕にある。

そう考えたら、昨日の段階で抱えていた様々な感情がすっと消えていった。
過去の話として扱えるようになった。

ようやく、事態を正確に把握できたことに安堵しつつ、せっかく手中に収めた大切なものを手放さないように。
そう決意を新たにしたのでした。


・・・・なんか、いつにもましてカッコつけた文章になってしまったなぁ。
冷蔵庫の中にあるサラダ食べよ。
プライベートでちょっとした問題が起きた。



それは善悪を簡単には導き出せない類の、人間関係のもつれ。しかも、もう全て完結していたもつれだ。


諦めと疑問、悔しさを同時に抱え、そこから派生する不安に飲み込まれそうな感覚になる。
不安に飲み込まれそうな自分への、弱さもまた実感する。


起きてしまった事実に対して、何かしら考えるべきことがあるのであれば、それは僕がその事実、その問題をどう咀嚼し、処理していくかしかない。


こういうときのコツは、感情をそれぞれ分けて考えることだ。諦めの原因、疑問の根拠、悔しさの本質。
そして、人間関係についてそれを考えることは、自分について考えることでもある。
ちっちゃな自分と意外に寛容な自分を直視しなくてはならない。


粘り強く、自問自答を続けようと思う。
仕事と日々の生活を送るなかで、時々「嘘」について考える。


嘘って曖昧だ。
曖昧なのが良い。


つくこと=悪いことでは勿論なくて、まだ考えはまとまってないけど、重要なのは「(嘘の)つき手の意思」だったりする。
方便的なものなのか、もっと悪質な、いわば詐欺的なものなのか。


そして、つき手の意思が尊重されると同時に、受け手の反応というものもまた、試される。


方便として発せられた嘘に本気で反応したら、それは最終的に損をすることになる。


とはいえ、嘘つかれる≒騙されてプライドを傷つける、みたいな側面もある。
そこらへんのバランスが難しい。


嘘をつかれる側の責任、みたいな尺度もある。
あとは、疑われた時点で終わり、みたいな見方も勿論ある。結構ある。


このテーマって、結構面白い。
その存在そのものを肯定した上で生じる「嘘論」。

本とかにできないかな。
もう既にあるのかな。

考えを巡らせてみます。