♪さんのみや検定 | ◆VISTAの発見◆

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大正13年(1924年)の地図によると、国鉄神戸の三ノ宮駅は、現在の元町駅付近にありました。

この位置は、当時の兵庫県庁(現・兵庫県公館)の東南にあって、東150mにはトーアロードが南北に走っています。
通りの南端には三宮神社、北端には通り名の由来となった東亜ホテル(現・神戸外国倶楽部)があります。
この通りを下ると、付近には「江戸町」「京町」「浪花町」「播磨町」「明石町」が隣接していて、地名にも情緒が残ります。

三宮神社は生田神社を取り巻く八裔神(えいしん)の一つで、この他の末神社として、一宮、二宮、四宮、五宮、六宮、七宮、八宮神社がある。しかし六宮神社は楠中学建設のため、八宮神社に合祀されたので、建物は7社しかありません。

ところで阪急、阪神の三宮駅が大正13年の地図にありません。なぜか?

1905年に、大阪出入橋から神戸雲井通まで、神戸電気鉄道(現阪神電鉄)が開通して、1910年に滝道電停が設置され、12年に滝道駅ができました。

この滝道駅こそ、加納町駅とも呼ばれたが、現在の「そごう」より南にできた「神戸駅」なのでありました。

では三宮駅と神戸駅は違うのか?

●1912年阪神は、神戸雲井通駅を三ノ宮駅と改称し33年にさらに神戸駅、36年に三宮駅と改称しています。
では滝道駅は雲井通駅と同一なのか、別なのか、それが検定問題です。

一方阪急電車は1920年(大正9年)大阪十三~神戸(上筒井)までを開通させました。
上筒井とは現・王子公園駅あたりで、王子動物園があるところです。
当時この動物園に隣接して著名な「関西学院」もありました。

で、1936年(昭和11年)になってようやく阪急が三宮まで延伸されましたが、すでに国鉄は1931年に三ノ宮駅を現在地に移転していたし、そごう百貨店も現在地に移っていたので、「さんのみや」は次第に活気を帯びて行きます。

●ところで滝道とは?
三宮から新神戸に向かう南北の大通り、フラーワーロードの東側に並行する裏滝道という小路があります。

また新神戸駅の北に布引の滝があり、松永弾正久秀の城「滝山城」があったことからみて、滝道とは現在のフラワーロードをいうのではないかと思われますが、いかがなものでしょうか。

松永弾正久秀は、築城の名手で天守や櫓門を初めて取り入れた武将。
三好長慶の家臣で、室町幕府13代将軍足利義輝を殺して天下を騒がせたワルだと思われています。義輝の弟、義昭を担ぎ出した織田信長と戦って投降し、家臣となるも後に反逆、ついに奈良で滅ぼされました。ケチだったけれど、お金持ちで、茶人で、名器九十九茄子の茶入れを所有していたことも・・。信長に差し上げてしまったけれど、コレ後に秀吉や家康、岩崎家にわたって、今東京の静嘉堂文庫にあるとか。

この久秀の嫡男久通の子、筑前の豪商松永彦兵衛の子孫にNTTドコモのiモードの生みの親、松永真理さんがいるのだって・・。他に爆笑問題の太田光氏の奥様、旧姓松永光代さんも・・。

●地図中の番号:大正13年当時の地図
1=滝道駅
2=現在のJR三ノ宮駅、阪急三宮駅
3=生田神社
4=一宮神社
5=二宮神社
6=第一中学(現・神戸高校)
7=兵庫県庁
8=現・新神戸駅 北に布引の滝
9=滝山城址
10=東亜ホテル(現・神戸外国倶楽部)

●さんのみや駅の現住所は三宮町ではありません。それぞれに皆違うのです。

JR三ノ宮駅:中央区布引町
阪急三宮駅:中央区加納町
阪神三宮駅:中央区小野柄通
ポートライナー三宮駅=中央区雲井通
市営地下鉄山手線三宮駅=中央区北長狭通
市営地下鉄花時計駅=中央区磯上通
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