
先生、親、社長、上司・・。
ああしろ、こうしろ、それすんな!と、うるさいモンです。
ああしろ、こうしろ、それすんな!と、うるさいモンです。
しかし逆の立場になると、あいつはチットモ言うこと聞かない!と
イライラするのも確か。
イライラするのも確か。
ソコデ、いったい「命令」の「命(メイ)」とは何かという疑問が湧きます。
辞書によれば
●み‐こと【御言/命】
「言(こと)」を敬っていう語。神・天皇・貴人などの言葉。おおせ。御命令。
「言(こと)」を敬っていう語。神・天皇・貴人などの言葉。おおせ。御命令。
つまり自分が服従する立場にある権威者のおおせが「命(メイ)」。
ではなぜ「命(イノチ)」と同じ字なのでしょう?
古代では、神のおおせは身命を賭して従わなければならなかったのでしょうか。
ゆるぎなき信仰は神そのものであって、自分のイノチを超える存在でアリマス。
逆に「信念」はグラつくこともママありますから、自分のイノチよりは低位にあるといえましょう。
以上のことから推しはかると、命令が効果的であるためには
「信頼、服従、尊敬の関係がなければならない」ことになります。
「信頼、服従、尊敬の関係がなければならない」ことになります。
カリスマ美容師、神仏の聖職者、立派な学者、芸術家などから「命令」を受けることはありませんが、そのアドバイスには従ってみようという気にはなりますよね。
歴史上、人の命をも左右できた命令者は、神格化され、信仰の対象となっていました。
さて、わが身を振り返って、自分は何のオーソリティでありましょうか?