チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」第4楽章をベルリン・フィルが演奏したものを比較してみます。


上段はカラヤン先生の指揮(32年前)、下段は先生の弟子とおっしゃる小澤征爾氏の指揮(今年)。
さすが,先生のはダイナミックでかつ繊細。
抑制と爆発、クレッシェンドの演出は人間の刺激と感覚について、心理学的に深く研究されたのでしょう。
曲の前半を同じ音量レベルで両者比較すると、先生のは山場で波形は振り切れてしまうほどです。
指揮スタイルを映像で見ても、師弟でもずいぶん違う。
先生は滑らかに振れと皆に指導されているのだけれど・・。
抑制と爆発、クレッシェンドの演出は人間の刺激と感覚について、心理学的に深く研究されたのでしょう。
曲の前半を同じ音量レベルで両者比較すると、先生のは山場で波形は振り切れてしまうほどです。
指揮スタイルを映像で見ても、師弟でもずいぶん違う。
先生は滑らかに振れと皆に指導されているのだけれど・・。
指揮法の違いを端的にいえば、マインド・コントロールのカラヤン、バトン・コントロールのオザワ。
カラヤンのお弟子とおっしゃるけれど、オザワ流指揮はずいぶんトゲトゲしいですね。
指揮者と演奏者が一体の存在に見えるか、別の存在に見えるか、その違いはとても重要なことです。
指揮者と演奏者が一体の存在に見えるか、別の存在に見えるか、その違いはとても重要なことです。