ブログネタ:「誰でも良かった」で殺されたくない! 参加中


「誰でも良かった殺人」は、ほんとに恐ろしいですよね。

いつ、どこで遭遇するかわからないし。


でも、物理的には満たされた環境なのに、精神的には混沌のなかで育ってる最近の子どもたちを見てる身としては、一方的に責められないと思ってしまうのです。

やっぱり育ちの場の基本は家庭なんですよね。
1日の中で、学校、学童、塾、習い事など家庭外で過ごす時間の方が長かったとしても、生活基盤は家庭なんです。
でも家庭がオープンではなく、かつ短時間の集中的な関わりで教育をしなければならないとしたら、親に求められるスキルは専門家以上のものになってしまいます。
ジレンマですね。

そして思うようにいかないで苦悩している親の一貫性のない振る舞いに子どもは振り回されます。
またジレンマです。

さらに、子どもの問題行動が出てくると、親がどうにかしようと色々なかかわりを試みますが、一貫性はさらになくなります。
ジレンマが積み重なって、悪循環に入ってしまう…。


周りの人が懸命に手を差し伸べてくれるのを感じていれば、大きな問題を起こす前に悪循環から脱することができると思います。

しかし、現代はありとあらゆるもののスピードが早すぎる。
だから悪循環から抜け出す前に事件になってしまうケースが増えてるんじゃないですかね。
(例えば、子どもらしい遊びから疎外された環境が作り出されているうえ、小学生のうちからビジネス教育が実施されていたりします。)


早さを重視したらいい部分と、ゆっくり丁寧に進めるべき部分があると思います。
よく見極めて、バランスがとれた社会を作って行きたいと思いますよね。



とまぁ、結構同情的な見解ですが、だからといって責任から解放されているとは思いません。

同情すべきものを背負ってる人がいることを、みんなが肝に銘じておく必要もあるよな~、ってことで…。


(こういうの書き始めると長くなる)