● 価値観


こんにちは!
安達です。


ここまで 「人の本質 = 愛のカタチ」 という側面で 見てきました。

「愛」 には 「与える愛」 「受ける愛」 「見守る愛」 の3つがあり
中でも 幼少期の 親から 「受ける愛」 によって “愛のカタチの基盤” ができ

これが 元となって 「与える愛」 のカタチが形成され
「経験」 を通して 深めていく

こうして “愛の授受” を磨いていくことで
その 「人の本質 = 愛のカタチ」 の “根幹” となる

その後 「反抗期」 や 「思春期」 を通じて それは より一層 磨かれ
「与える愛」 と 「受ける愛」 の “バランス” が形成されていき

社会に出てから 更に 磨きがかかっていく

こうしてできてきた 「愛のカタチ」

その中での 「与える愛」 「受ける愛」 それぞれの “バランス状態” が 「良いか?悪いか?」 で その人の 「幸せ」 の “価値観” や “度合い” を 決める

そして これは 生きていく中で 至るところで 顔を出す

・・・そんなお話をしてきました。


基本的に 世の中にある “精神性(こころ)” を説くものには
その根幹には 「愛」 の教えがある

キリスト教は “奉仕の愛” を説いているし
仏教は “慈悲の愛” を説いている

また 「善と悪」 についても 説いている

このことは 東洋の思想では 「陰陽論」 で説いている

世の中には 「陽と陰」 ふたつの要素が 常に 同時に 存在する
そして これは ありとあらゆるものごとに 共通していること

世の中の仕組みの中の 「善と悪」
ものごとの中の 「善と悪」
あなた自身の中の 「善と悪」

どこにでも このふたつは “常に同時に” 存在し
これが 「どのようにバランスしているか?」

そのカタチは 「本人の価値観」 によって 決まる

そして また 「善と悪」 のそれぞれの中にも 「善と悪」 は存在し
「何が真実なのか?」 と 人は悩み 人生のさまざまな岐路で 「選択」 を迫られる

また これと同じように 「○◯は好き 嫌い」 という 「好み」 があり

それらと “繋がりのあるものごと” まで “= 良い悪い 好き嫌い” というように
「塊」 や 「同属」 として 見がちである

これは 大きな間違い!
こうした見方は ものごとを “偏った見方” にし 見聞や見解 見識が “狭く” なる

そうならないためには

 “ものごとには すべて 「対極の存在」 があり それは 個々にあるもの”

ということを理解し ものごとの判断を 見誤らないようにすることが 最も大事であり
すべてのものごとを “ホリスティック(多面的)に考える習慣” が 必要です。

なぜなら この世は 「3次元」

つまり 本来 最低 “3つの視点” から ものごとを見るのが 自然な姿勢

しかし 「3つ」 となると 「難しい。。。」 となってしまう人もいる
そういう人は せめて “2つの視点” を持つことを おススメします。

これが 上記の 「陽と陰」

つまり 「メリット デメリット」 の2点
これだけでも 考える習慣を 持つことです。


例えば 「医療」 であれば

 「体を切らずに処置し 予防効果のある 東洋医療を日常に
  それで対処しきれない事案の時には 西洋医療で対処する」

「薬」 であれば

 「普段は 食事や飲み物などで対処し せいぜい 漢方に止め
  それでもダメな時や 急を要する時 最終手段で 薬を服用」

「食事」 であれば

 「日常は 遺伝子が受け入れやすい 和食を
  たまに 洋食を取り入れる 外食してみる」

「美容」 であれば

 「普段は ツボ押しなどのマッサージや 針やお灸を
  時には リラクゼーションを求め アロマや リフレクソロジーなど」

「買い物」 であれば

 「その商品を利用することで 何がメリットで どう役立ち
  反対に その商品を利用することで 起こり得る デメリット 問題点は何か?」

というように それぞれの持つ 「メリット デメリット」 を考え うまく利用する
こういったことで 生活は より豊かなものとなります。

世の中には 「選択肢」 が たくさんあります。
今 世間に氾濫している 「情報」 も そう

その中から 情報整理して 何かを選択する
そうすることで 次のステップへと コマを進める

その際 必要なのが “ものごとを単純化する” ということ

身の回りのことで言えば 「整理整頓」


世の中 「理屈」 を並べて 硬っくるしく 難しい話し方の人がいれば
ものごとを 「単純化して」 わかりやすく 噛み砕いた話し方をする人もいる

「あなたは どちらのタイプの話を 聞きたいと思いますか?」

また “プライド” ばかり高く “自分が絶対正しいと思っている人” と
“ものごしがやわらかく” “柔軟な考え” で 「臨機応変」 な人と

「あなたは どちらのタイプの人と 付き合いますか?」

これらは “好み” があり 人によって さまざま
正に 人それぞれの “価値観” によって 別れるところ

結局 何事に於いても 「選択する」 のは あなた自身です。
そして また それによって起こる 「結果」 も あなた自身の責任です。

それを 多くの人は “他人などの外部へ責任転嫁する”

こういうのを 「ケツの青いヤツ」 というのです。
要は “未熟者” だということ


今の政治家たちが いい例です。

元は 同じ政党だったのが “考え方の違い” などから いろんな党へと別れ
身内で “潰し合い” をしている

また これに対して マスコミなどの外部の者は 「誰が責任を取るのか?」 と
「責任」 の有りどころばかり 追求しようとする

私も このブログで 「評論」 みたいなことを 度々していますが
“外部の者” が “批評” するのは 簡単なことで 誰にでも できます。

しかし 実際に 「やる」 となると なんでも 難しいものです。
実際 “経験しないとわからない” もの

では 果たして こういった 「責任」 というものは どんなものなのか?

これは “いかなるものでも 個々にある” もの

人が集まって 世の中が成り立っている以上 「個々」 に 「責任」 はあり
それを “なすりつけあう” なんてのは “愚の骨頂”

世の中 いかなるものにも 「交わり(接触)」 がある以上
トラブルの際 「双方」 に “少なからず” 「問題」 や 「責任」 はあるもの

それを 「認め」 互いに 「歩み寄る」 ことで 「問題点」 を協議し
「改善」 することが 望ましいのです。

これは 「恋愛」 や 「夫婦間」 「家族間」 「友達どうしの間」 に於いても
すべてのことに言えること

世の中 「絶対」 というものは ほとんどありません

「人」 は皆 「未熟」 な生きもの

「未熟」 な生きものだからこそ 互いに 「労り合い」 「励まし合い」
そして 「協力し合い」 ながら 共存 ・ 共生する

それが 「人」 であり 「人間」 なのです。
そして それが 「人の在り方」 なのでは ないでしょうか!?

また そうした “やり取り” の規範が 「愛のカタチ」 からのもの

つまり すべてのものごとに携わる時 根底にあるのは 「愛のカタチ」
それが 「人の本質」 であり “価値基準” を左右するものなのです。


長くなってしまいましたが・・・
本日も 最後まで読んでくれて ありがとうございますm(_ _)m!
感謝!


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