● 動物に学ぶ その4 ~親から子へ~


こんにちは!
安達です。


私は 子どもの頃 親父から “虫取り” “ザリガニ釣り” “魚釣り” など
自然の中で生きる こういった生物を通して 「生命」 というものを 学んだ

また 親父が 当時 養魚(金魚・錦鯉など)を担当する部署だったこともあり
自宅には “金魚” を 飼っていた

更に 親父から “草笛” や “草船” それから “スギ鉄砲” なんかも 教わった

私の親父は 幼少の頃 父親(私にとっては 祖父)が 借金から夜逃げし 家などの財産を 失い 家族兄妹 バラバラに 離散した

親父は まだ 小さかったので 母親(私にとっては 祖母)に連れられ 母親の実家の横浜へ

そんな自分の生い立ちもあり 「家族」 を とても 大事にしてくれた

テレビで 「コイツは いい女だっ!」 とか言ったり “からみ” のあるドラマなどが 大好きで 「やっぱ 親父も男だなっ」 なんて ごく フツーの面も ありましたが。。

よその父親たちが 外食や 女遊びで なかなか 帰ってこない時代のなか
私の親父は “まっすぐ” 家に 帰ってくる

また 今思えば 疲れてただろうに 休みの日には 必ずと言っていいくらい 遊んでくれた

当時でも かなり “めずらしい” 家庭環境と言える中 私は 育った

今の時代 今でこそ 少しは “家庭を省みる” 「父親」 というのは 増えつつあるが まだまだ “共働き” の家庭は多く 「仕事」 を 言い訳に “外へ逃げる” 父親は 多い

また “共働き” もあり 今では 「母親」 も いない家庭が 多くなってる

私の今住んでいるところは 小学校の近くで 更に 通学路ということもあり 子どもたちが帰るのを よく見かけるのだが。。

“寂しそうに 下むいて とぼとぼと 歩く” 昔で言う “カギっ子” らしき子どもや “メガネをかけた 子ども” たちを 相変わらず 多く 見かける

最近も “無事 保護された” から いいようなものの 小5の女の子の 「失踪事件」 や “段ボール箱から死体” 。。。 やら “押し入れから死体” 。。。 やら 相変わらず 悲しいニュースが 飛び交っているが・・・

そこに “愛” は 「かけら」 も ない

インターネットの急激な普及によって “バーチャル” の世界にハマり “ヲタク化” した奴らが バーチャルでは “コト足らず” “リアル” で それを 行う・・・

そんな事件が 後を絶たない

私が 「ゲーム」 や 「ヲタク(文化)」 が 嫌いな理由は ココにある

勿論 “ヲタク文化” を 完全否定するわけではなく 現実問題として “ヲタク文化” が “ネット社会” が こういった事件の発端に繋がる “一環” であることは 間違いないことであり 周知の事実

「家庭」 というものに 目を向けても やはり 「テレビゲーム」 やら 「SNS」 などにハマっている 子どもたちの数は 圧倒的に多い

そりゃぁ そうだっ! その親たる “大人たち” が それに ハマっているのだから。。。

子どもたちは そんな親を見て 育ちます
それが 『親から子へ』 と 太古の昔から 人が 営んできた 姿であり 習慣

また これは 人間だけでなく 自然界においては “極 アタリマエのこと”

動物界では 親(大抵は母親)と 共に過ごす 僅かな間に “生きるすべ” を学び やがて 親から 追い出されるかたちで 独り立ちする

これは 人間界でも 全く 同じこと

今や 「ゲーム」 や 「SNS」 にハマり 携帯が “最も身近な友” となっている光景は 通勤電車の中なんかでも よく見かける “当たり前の光景” となっている。。。

だから 当然 子どもたちも “同じ行動” を 取るようになる

すると そういう家庭で飼われているペットたちは イヌであれば 「キャンっキャンっ」 と 必要以上に吠えるようになったり ハムスターなんかであれば 新聞紙などを ゲージの外にまで 撒き散らしたり ・・・と “おかしな行動” を しだす

「ストレス」 によって。。。!

こういう行動(症状)が ひどくなると 飼い主は “手に負えない” となり “ペットの飼育を放棄” して その辺に “捨てる” いわゆる 「捨てペット」 をしたり 「虐待」 をする

捨てられた動物たちは “生きるため” に 「野生化」 し 生き残れない動物たちは 当然 「死」 ぬ

もともと 「野生」 でない限り やはり 「ペット」 として “売り買い” されている動物たちには それだけの 「生命力」 も 「生きる術」 も 当然 備わっていない

頼りは “眠っている 本能” のみ

当然 “自力で生きる術” が不十分な状態では 生きながらえることは 難しい

只でさえ “ペットとしての動物たち” は 大抵 “親とともに過ごし 学んだ日々” というものが ないのが ほとんどなわけだから。。。

しかし 「生命力」 の強い 「繁殖力」 の強い動物たちは “異常繁殖” する

その代表格が “アライグマ” などである

すると 人間は “自分たちの生活を脅かす存在” として認識し 「排除」 に掛かる
原因を作ったのが ごく一部の人とはいえ “人間側” に あるというのに。。。

そういった 「虐待」 的な行為を 大人たちがしている以上 子どもたちは それを真似る

“酷いヤツ” になると 今回のような 「児童(幼児)誘拐」 や 「拉致」 「監禁」 「軟禁」 「ストーカー」 強いては 「殺人」 などといった 「事件」 を 起こす

今 確かに 人間にしろ 動物たちにしろ “ストレス多き 世の中” ではある

これには いろんな原因が いくつも 絡み合っているのだが・・・

やはり 「生命」 に対しての “「学び」 が 足りていない” という 現実が 引き起こしている事件” と 言わざるをえない


動物たちは 親から いろんなことを学び また 遊びの中から いろいろと学び 大人へと 成長していく

これが “親から子への 引き継ぎ 受け渡し” といった もっとも 自然な姿

これは 人間も 全く 同じこと
そして これは “人も動物の一種” であることを 意味している

しかし 現実的には 親と子のコミュニケーションは 年々 形を変え 今では すっかり 様変わりしてしまっている

勿論 一方では 昔ながらのコミュニケーションを “見直す” 親たちもいるが・・・
まだまだ ほんの 一握りの 家庭だけ

このような 現実的な家庭環境の中 “ペット” の存在が ある家庭では 家族のコミュニケーションを 円滑にしていれば 別の家庭では “友達(話し相手)が ペットだけ” などといったことから 「ペット依存症」 や 「ペットロス」 なんかを 生み出している

人間も 動物の一種である以上 また 今のストレス社会に於いて “ペット” を含め 動物たちから学ぶことは 山ほどある

インターネットびたりなどによる “バーチャル依存症” や ネット依存や テレビゲームなどによる “ひきこもり” など

今の世の中 只でさえ 表(外)で遊ばなくなった子どもたちは “自然との接点” が あまりにも少なくなり 「いのち」 と言うものの “学び” が とても “薄っぺらい”

だから 余計に 「愛」 というものを “間違ったカタチ” で 覚えてしまい “人が 人らしく なくなっていっている” といった現象へと 移り変わってしまっている

今 現実的に起きている 「事件」 を見ても 明らかなこと

一部では “ローカルコミュニティ” や “昔ながらの親子のコミュニケーション” などをテーマにした 「イベント」 や 「コミュニティ」 が 人気を呼んでいる

しかし “親から子へ” の 「学び」 は 薄れていく一方であり 今の 団塊世代の人たちが 皆 この世を去ってしまったら 俗に言う “おばあちゃんの知恵袋” などといったものは 姿を消してしまうのではないか!? ・・・とさえ 思う

父親からの学びは 主に 「遊び(社会性)」 にあり 母親からの学びは 主に 「生活習慣(衣食住と言った生活観念)」 にあり 子どもにとって どちらも “欠かせないもの”

そして 少子高齢化社会に於いて 兄弟姉妹が いない もしくは 少ない 家庭が多くなっている今 「ペット」 などの “動物の存在” は 非常に大きく 「学び」 も 多い

更に “新しもの好き” な日本人の特性上 “和もの < 洋もの” といった価値観が 未だ 強い 日本人社会

やはり “日本古来の伝統文化” というものを 忘れてはならない

「和食」 「着物」 「畳」 などといったものから 「伝統芸能」 や 「伝統工芸」 など また 「祭り」 や 「湯治」 などの日本文化

そして 何より 「おもてなし」 の文化

食品偽装事件以来 後を絶たない 外食産業業界の不始末
もはや そこには 「おもてなし」 の “精神” は ない

こういった “日本人ならでは” の “風情” や “情緒” を 生活の中に 取り入れることによって “豊かな心” を育むことこそ “家庭円満” も “キレイ” も 手に入るのです

また 世界では 「和食文化」 は 大いに注目され 「健康・美容」 としても 取り入れられている

世界中 どこの国でも 「食文化」 というものは 大抵 「親から子へ」 と “家庭の味” というものは 代々 引き継がれているもの

だからこそ 「おふくろの味」 というものは いつの時代も 人々の心を 和ませてくれる

しかし 注目を集めている 「和食文化」 の “本家本元” である日本国内では どんどん それが “廃れていっている” という 現実がある

また 「和食」 だけじゃなく 世界中 どこの国々でも やはり 「食」 というものは “手を掛ければ掛けるほど” 「際立つ おいしさや 幸福感」 がある

そして それを 「家族」 で囲う姿こそが “コミュニケーションの核” であり 基礎である

そんな 「和食文化」 によって 古来 日本人は “肌や髪が 美しい人種” として 海外からの評価を 得ていたのです

つまり そこに 「真の美」 というものが あるということ

 “「真の美」 = 「食」 にあり”

ということ

そして それこそが 「日本人の美学」 というものなのです


本日も 最後まで読んでくれて ありがとうございますm(__)m!

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