すぐにアウトプットしないと忘れてしまう。
本当にそうだなとこのブログを書いて思います。
午前中に私の師匠とお話したんですがすぐアウトプットできず今書き出そうとすると忘れてるんですよね。
少しでも早くアウトプットしていけるといいなと感じました。
言葉を素直にとること、言葉の裏を考える事
幼少期の頃は自分に言葉の選択肢があまりないので素直に言われた言葉を受け止めてしまいがち。
今考えるとそんな嫉妬むき出しの言葉を真に受けないでいいし、それって逆に褒められていると捉えることができると気づけた。
感情のしくみを勉強し自分で感情を掘り下げる練習もしているけれど
自分の脳内でしか掘り下げられない為、自分の価値観や新しい視点を取り入れるのは本当に難しい。
そこで他の人の脳にある考え方や捉え方をちょっとお借りして自分の困りごとを書き換える事だってできるとより実感した。
私は幼少期、人より目立つことが大好きだった。
授業では積極的に手を挙げ、間違えていようが関係なく一生懸命いろんなことをすることが好きで楽しかった。
ただ高学年になるにつれて人から言われる言葉に敏感になっていき、周りと違う行動をする自分をおかしいのかなととらえるようになってきた。
昔から人を疑わない性格で、言われたことは真に受ける冗談の通じないタイプ。
そんな私が今の今までずっと悩んでいたことがあった。
これから起業するにあたり乗り越えないといけない壁だと感じ、今ここで見直すべく師匠の力を借りて現在の価値観が過去のどんな経験から生まれているかをひも解いていった。
小学校6年生の頃、忘れもしない国語の授業。
他の子が本読みをしていたんですがうまく読めずにしどろもどろしてたんです。
そしたら先生が
「みのりが本読み上手だからちょっと代わりに読んであげて」
と言われ本を持って両手伸ばしてハキハキと堂々と読んだんです。
そしたら読んでる最中に隣の席の子とその後ろの子がボソッと
「そんな一生懸命して恥ずかしい」
と笑いながら言ったんです。
その子の顔も覚えています。
そのくらい衝撃だった。
そして読んでいるうちになんだかすごく恥ずかしい気分になってみんなの前で大泣きしたんですよね。
先生は「え?急にどうしたの?」といって驚いていました。
同級生のたった一言で目立つことが嫌になり30代前半の今の今まで引きずっていた
本当たった一言です。それから何をするにも人前に出ると誰かが
「みのりちゃんってば恥ずかしい人」
って言われているようで(実際は言われてません)
人前で話すとなるとどういう訳か
のどの奥で声がつっかえる感覚
が抜けなくなったんです。
国語の授業が苦痛でたまらなくて、国語の授業があるたびに学校に行きたくないとまで思うようになりました。
そして本読みがしたくないから学校を辞めたいと思う自分は他の人には理解できないような思考を持っていて自分っておかしいんじゃないかとも感じていました。
先生からの質問があると絶対当てられないようにと目を合わせないようにうつむいて「私を当てないで」と常に心臓はバクバク、息苦しすぎました。
そんな感じで人前で話すことをとにかく避けて生きてきました。
そのくらい私の中では強烈な言葉だったんですよね。
そしてその出来事を「人前で話をすることが苦手」というふうに捉えていました。
人前で話をすることが本当に苦手なのか
ここで私のメンタルの師匠である方の脳をかりて感情の深堀りをしたんです。
一生懸命何かに取り組むことは恥ずかしいことなのか
話が上手い人は場数を踏むことが本当に必要なのか
話していると頭が真っ白になるのは人前で話すことが苦手なことと関係があるのか
小学生の頃の「一生懸命やってて恥ずかしい」の言葉の本当の意味は何なのか
一生懸命していることは本当に恥ずかしいことなのか
自分が人前で話をすることが苦手だと感じるようになったきっかけを涙をこらえながら伝えました。
思い出したくもない、見たくもない感情を一度可視化することで嫌な気持ちにもなるんですが、変わりたいなら感情の処理をするしかないんですよ。うん。
沢山深堀りして自分の価値観が書き換えられた時
肩の荷が降りたというか、ふわっと軽くなる感じで
自然と笑いが出るくらい感動しました!!!
私は嫉妬されるくらい小さなことにも一生懸命で憧れられていた可能性がある
それを自ら人前で話すことが恥ずかしいと決めつけて辞めてしまうのは勿体ない
更にその憧れてくれていた人の夢まで奪ってしまっている
深い。
私、憧れられる人になります。
小さなことにも一生懸命になります。
私は出来る。
よし。素直にやるべきことを楽しみながらやっていきます!