第三章 二ートの僕が子育てをしたら 二七話
自分だけの体験
僕達三人は研修室に集まっていた。
すると今野君が、
「ダイゴ先生の話を聞いて色々と考えたのだけど、中々物語のテーマが決まらなくて」
と悩んでいる様子だった。
すると三上さんも、
「そうなのよね。人に伝えることのできる何かを持っていない自分に今更ながら気づいたわ」
さすがの三上さんも、今回の課題は手に余っているようだった。
そんな二人に僕は、
「じゃあ、これから三人であるテーマを設けて、そのテーマについての自分なりの体験を話してみない」
と提案すると、
「それグッドアイデア!人に話すことで自分の新たな面が見えることもあるよね。坂上冴えているな」
と今野君の目が輝き出した。
僕達はそれぞれテーマを考えてみることにした。
「どんなテーマが良いかな」
と考えていると、
「今まで一番辛かったことを今野君!話してください」
と三上さんが今野君のことを指名した。
すると今野君が研修室の壇上に上がり、
「あーあー」
と声を慣らしている。
そして、
「今から私が過去に辛いと感じた体験をお話します」
と背筋を伸ばし、話し始めた。
「私が過去に辛かったと思うこと。それは小学校の時に所属していた野球チームでの体験です。私は小さい時、体が弱かったので絵画教室、ピアノ、学習塾など
屋内の習い事ばかり通わされていました。そんなある日の放課後、私は何気なく滑り台の一番上に座り、グランドを見渡しました。グランドを見渡すと、ユニ
フォームを着て野球の練習をしている人達がいました。その時の私には、彼らがとても楽しそうに練習をしているように見えました」
過去の話を始めた。僕が意外に思ったのは、今野君が体が弱かったことや意外にもお坊ちゃんのような習い事をしていたことだ。
「僕はそれまで外で競技をするような経験が無かったので、彼らのようにグランドを自由に走り回っている姿を、いつも羨ましく感じていました。そんなある日の
こと、その野球チームの人が僕に声を掛けてきました。《毎日そこで眺めているけど、興味があるならチームに入れば?》僕はその人の誘いにびっくりしながら
も、とても嬉しくて家に帰るとすぐに、父親に野球チームに入団するお願いをしました。父は、《最期まで続ける》という約束が守れるなら、という条件付きで
野球チームに入団することを許可してくれました。僕は、次の日から、その野球チームの一員になりました。しかし、現実は甘くありませんでした。見ている時
は練習が楽しそうに見えましたが、実際に練習に参加すると他の人達に付いて行くことができず、本当に辛い思いをしました。挙句には、《お前は下手だから運
動場の隅の方で一人で練習をしていろ》とまで言われる始末です」
今野君が少し暗い顔をしている。
「それから一年間はとても辛いことばかりでした。学校が終わり、皆の練習が終わるまで一人で壁に向かってボールを投げ続けたり、ずっと一人でバットを持っ
て素振りをさせられたり、それと一番きつかったのは何時間もずっとグランドを一人で黙々と走らされたことです。何周走っても代わり映えしない光景の中で、
走り続けることがあんなに苦痛を感じるなんて。人間というのはゴールが見えない行為を繰り返すことに、あんなに苦痛を感じるものなんだと、その時は強く感
じました。」
今野君の話に、僕達は胸が締め付けられるような思いがした。
「何度辞めようかと思いましたが、父との約束があった為に我慢しました。でも、毎日毎日、友達達が放課後好きに遊んでいる姿を見て、羨ましく感じることが
何度もありました。でも、なぜだかわかりませんが私はその野球チームを辞めなかったのです。でも、あることがきっかけで野球をすることが、とても楽しくな
る出来事がありました」
今野君の表情が変った。
「そんな練習を一年間続けていた僕が試合に出ることのできるチャンスを手にしました。《ライト・八番・今野》と公式試合のスタンディングメンバーとして名前が呼ばれたのです。その時は嬉しさよりも驚きの方が大きく、戸惑いを感じたことを今でも忘れません。私は正式メンバーのように練習をした経験がこれまで
ありませんでしたし、自分がちゃんと選手としての役割をこなせる自信もありませんでした。しかし、試合が終わってみるとびっくりする結果を手にすることが
できました。その時の私が残した試合での結果は、三打数二安打二打点という思いもしない結果を残すことができたのです。父も私の残した結果に大喜びをして
いました。当の本人は、何でそんな結果が残せたのかはわかっていませんでしたけど」
今野君が笑顔で、
「試合が終わって監督が《お前は一人黙々と言われたとおりに練習をしていた。今日はその結果が身を結ぶかどうかの試験のようなものだった。ちゃんと諦めず
に練習をすれば結果は付いて来るものなんだよ。今度からお前はレギュラーだ。がんばれよ》と僕に声を掛けてくれました。辛い毎日で何度も辞めようと思いま
したが、この時ほど続けて良かったと思うことはありませんでした。それから僕の中で、辛くても諦めなければ、最高の瞬間を手にすることができる。という確
信が心の中に芽生えました。……以上です。僕の辛い体験話は」
と今野君が発表を終えた。
僕と三上さんは、そんな今野君に拍手を送った。
今野君が嬉しそうな顔をしている。
「私、ちょっと今野君を見直した。今野君にもそんなことがあったんだ」
と言うと、少し今野君が照れている。
僕も、
「凄いね!今野君。なんか凄く感動した」
と言うと、
「今野君の印象から、そんなことがあったなんてびっくりするよね。このギャップを物語にすると、今野君の印象が凄くアップするかも?」
と三上さんが良いことを思いついたかのような顔をしている。僕も三上さんと同じように感じたので、
「そうだよね。今野君の今の話を聞いて意外なことばかりだったから、とても面白かったよ。この話を物語にしたら、皆も今野君のことを凄い人に思うんじゃないかな?」
と言うと、
「そうか!俺はあまり努力をしない人に見られるんだな。自分では気づかなかったな。自分が気づかないことって色々とあるよね。自分では当たり前に思ってい
たことが、他の人には新鮮に感じることだってあるんだね。これは大発見かもしれないね。自分のこれまでのことを色々と書き綴ってみよう。他にもあるかもし
れない」
と何か吹っ切れたような顔をしている。
今野君の話を聞いて、僕が思ったこと。
人は語らないだけで、どんな人にも人それぞれの経験や体験がある。
それはその人だけが体験した、特別な体験。
その人にとってはたいしたことのない人生の一コマかもしれないが、他の人にとっては勇気や元気を与えてくれる話になることもある。
自分の人生
そんなに卑下する必要は無いのかもしれない。
若いからと言って、何も遠慮することは無いんだ。
僕の歩いてきた人生でも何か人に勇気を与えることができるのかもしれない。
今日は今野君に、とても大切なことを教えてもらった。
28話につづく