
転機となったテト攻勢
「歴史にもしもはない」のつづきで、今回もベトナムの空中散歩とします。最近のFlightGearは、精力的にランドマークが作成されていて、これまで殺風景だった地表にも3Dオブジェクトがふえてきました。こんなうれしいことはありません。
ベトナムのホーチミン市(旧サイゴン)にも、フランス統治時代の雰囲気を感じさせるホーチミン市人民委員会の建物などから、今日の経済発展を象徴する高層ビル群まで、立ち並ぶようになりました。
画像は、そんな中のひとつ、サイゴン大教会の建物です。
1954年のディエンビエンフーのたたかいでベトミン軍が旧宗主国のフランス軍を包囲し壊滅させたのを契機に、第1次インドシナ戦争は終結に向かいますが、ジュネーブ協定では暫定軍事境界線が設けられ、調印に加わらなかったアメリカと南ベトナムは、一方的にベトナム共和国(ゴ・ディン・ジェム政権)を南部に樹立。サイゴンは南北に分断されたベトナムの一方の首都となりました。
ジェム一族による圧政と反政府勢力(新興宗教組織やギャング)への弾圧は、国民の反発を強め、60年には南ベトナム解放民族戦線(NLF)が結成され、サイゴンでは仏教への抑圧に抗し僧侶の焼身自殺が相次ぎ、仏教徒の抗議活動も頻発します。
武器の奪取、テロから本格的なゲリラ戦へとNLFが勢力を増し活動を活発化させるにつれ、アメリカは軍事顧問団の派遣からはじまり、64年にはトンキン湾事件を引き起こし北爆、地上軍の派遣へと軍事介入を大規模化させて行きました。
強力な米軍を相手とするたたかいとなったベトナム戦争に、転機をもたらしたのが68年の「テト攻勢」でした。テト(旧正月)の休戦を拒否した米軍と南ベトナム軍に対し、解放勢力側は全土で大規模な一斉攻撃を加え、一時アメリカ大使館が占拠され、米軍の放送局も占拠されて爆破されました。
解放勢力側の文献では、NLFの小旗を多数作成する様子が記述されていたところからして、市民の蜂起を期待していたふしがみうけられますが、実際にはおこらず、占拠の部隊は孤立し、いわば英雄的な最後をむかえることになりました。
このように、戦術的(軍事作戦的)には失敗に終わったテト攻勢ですが、戦争の終結は間近と聞かされていた米国民にとっては衝撃的なできごととなり、政権への不信と反戦世論がたかまり、その後パリ和平会談の開始、段階的撤退を掲げるニクソンの大統領就任へとすすむことになったことからすれば、政治・外交的には解放戦力側に大きく有利にはたらき、戦略的勝利に多大な影響をもたらしたことはいなめません。
ヴォー・グエン・ザップの反対も押し切って実施されたという無謀なテト攻勢は、解放勢力側も甚大な損害を被り失敗しました。しかし、ふたたび解放勢力側は力をつけ、大攻勢をかける日がやってきます。歴史にもしもはなくても、歴史に必然はあるようです。歴史的偉業は、その人がなさなくても、かならず代わる人が出現してやりとげるとか。来るときは意外に早くやって来るものです。その話はまた次回に。

