二つの大国に勝ったベトナムと勝てなかった日本 | virt_flyのブログ

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二つの大国に勝ったベトナムと勝てなかった日本
 「気分は大東亜戦争」以来、第2次世界大戦の太平洋戦線を話題にしてきて、やはり思いいたるのが日本の敗戦についてです。

 物量豊かな国を敵に回してたたかったことがまずかったと、それなりの説得力をもってまことしやかに語られていますが、どうもすっきりしません。

【戦争指導の責任】
 それなら、誤った戦争を遂行し国と国民に多大な損害を与えた指導者の責任はどう追及されたのか、問われてしかるべきと思われるのですが、極東国際軍事裁判はあっても日本自身による自主裁判というかそれに類することを聞くことは不勉強にしてありません。
 もちろん、戦争加害国として国民も責任を問われてしかるべきでしょうが、一億総懺悔というのは、明らかに責任の所在をあいまいにし隠蔽に加担する論理だと考えます。
 そのためか、今日にいたるまで多くの企業が犯した誤りにたいして、だれも責任をとらない、辞めて逃げるだけの無責任体制が横行する、そうした風土がつくられる原因にもなったのではと言う気がしてなりません。

【ベトナム戦争の勝者】
 視点を変えて。無謀ないくさをしかけた日本は、4年にも満たないわずかな期間でアメリカに打ち負かされ、ひざまずくことになったわけですが、一方、戦後超大国となったアメリカとたたかい、10数年で国土からこれを追い払った国があります。同じアメリカとたたかって、ベトナムは勝てたのですから、日本の敗因が物量の差にあったと言われてもとても納得できるものではありません。

【神風なしで勝ったベトナム】
 しかも、ベトナムは、アメリカだけでなく、かつて当時の世界で唯一の超大国であった元(モンゴル)ともたたかい、3度これを実力で撃退しているのです。日本も2度の元寇を経験しましたが、実際には負けいくさで、神風が吹くことがなければ、これを撃退することなど能わなかったと思われるところからすれば、いかにベトナム民族は秀でていることか。

【神風とベトナムに救われた日本】
 特筆すべきは、司令官陳興道(チャン・フン・ダオ、チャン・クオック・トアン=陳国峻ともいう)に率いられた陳(チャン)朝大越(現ベトナム)の軍民は、焦土作戦とゲリラ戦術でたたかいモンゴルの遠征軍の補給ルートを脅かし、ついに撤退に追い込んだモンゴルの大艦隊を白藤江(バクダン川)の河口の無数の杭を打ち込んだ浅瀬に誘い込み、潮が引き身動きできなくなったモンゴル軍に火を放ちこれを壊滅させたことです。今でもクアンニン省クアンイエンでは、広範囲から木の杭が見つかるそうです。
 このとき多数の軍船を失ったために、フビライは3度目の日本遠征をあきらたといわれます。日本は神風だけでなく、ベトナムにも助けられていたのですね。

【この違いはどこから?】
 ベトナム人は、勝っておごらず戦いの教訓をいかし、ベトナム戦争に勝利。日本人は、負けいくさに学ばぬばかりか、オカルト集団ならいざしらず神風が吹くなんて言っていたわけですから、こりゃダメかなって感じですよね。日本の敗因は、ここらの違いが生じたことのなかにありそうな気もするのですが…。

【歴史に謙虚に】
 付け加えるならば、モンゴルは、人種にとらわれず優秀な人材を登用したといわれ、いわば世界政府のような理想的な国をつくっていたようにも思われますが、軍事力でこれをすすめたことによりタタールのくびきといわれたり、チャンパ国への侵攻のための国内通過をベトナムに拒否されるなど、人々からは有形無形の反発を受けたようです。仮によいことであっても、求められもしないのに外部から武力で押し付けることは、のぞましくないことも、歴史が教える大事な教訓です。ましてや、事実を歪曲し侵略を解放といつわるようなことは、決して許されないでしょう。

 画像はベトナム北部、紅河デルタの広がるあたりのマップ。河口から少し遡上したあたりがバクダン(白い矢印の箇所に、拡大するとBACH DANGの文字がありました)。実はこの地では計3回、938年、981年、1288年にそれぞれ南漢、北宗、元(モンゴル)の軍とのたたかいがあり、ベトナムは3度とも同じ手で大勝利をしています。歴史を謙虚に学ばないと3回も同じ手を食う情けないことになるのですね。

 今回は、FlightGearや飛行機とはとはまったく関係のないはなしになりました。f^_^;