2千年の?物語 | 新居昭乃 オフィシャルブログ powered by ameba

2千年の?物語

気づけば半月以上もご無沙汰してしまっていました。

しかも最後はホガちゃん&ジモンさんのお話で。。。w


あれから何してたかな、と考えますと
案の定、大して何もしていなかったのですが、
そういえば、去年出会ったチャネラーの先生が開いている
ゆる~い瞑想会に行ったりもしていました。

最近ではもう一般的になった色んなヒーリングやセラピーと同じ領域なのですが、
目に見えない人や存在とチャンネルを合わせて声を聞くことをチャネリングと言い、
それができる人をチャネラーと呼びます。

昔で言うところの巫女のような存在でしょうか。

最初にその先生にお会いした時に、高校生の頃から抱えていたモヤモヤが、
それがモヤモヤだったことさえ忘れていたような事柄が、一気にクリアになって、
先生から受ける感じがとても素朴で透明だったこともあり、以来、何度か通っているのです。

そのモヤモヤって、カトリックの高校に通った3年間もの間、クリスチャンになりたくて、
ひとりのシスターに付いてキリスト教をみっちり勉強し、
卒業前、いよいよ洗礼を受けられる!という段になって、そのシスターから
「今回は見合わせましょう。」と言われた瞬間からその時まで抱えていたモヤモヤだったのです。

どうして?と泣きそうになる私にシスターは優しく
「あきのちゃんの気持ちは信仰じゃなくて、恋なのよ」とおっしゃったのです。
このことは1度だけライブでもお話した事があるように思いますが、、、。

シスターからは、「どうしても信者になりたいなら卒業後、教区の教会に通って、
神父様から洗礼を受けるように」と言い渡されました。

それもそうだと納得し、まじめに教会に通い、クリスマス会の幹事までやったりもし、
その次の春、いよいよ今度こそ洗礼を受けられる!!という段になって、神父様から
「心構えは良いですか?」というような面接を受けた時、たまたま私、、、
男の子の家にやっかいになっていたのです…。

その生活をあらためない限りは残念だけど。。。ということで、
私はどうしても当時、家に帰ることができず、あきらめたのでした。

その後まもなく福岡の母の元に行き、
母の家の近くの神学校や修道院にも顔を出したりしましたが
もうさすがに信者になることは考えなくなりました。


そのモヤモヤを晴らしてくれた、チャネラーの先生から教えてもらったことというのは、
ちょこっとこのブログにも書きましたが、、

私はイエス様の弟子だった。ということなのです。。。!

先生はすかさず「弟子って言っても十二使徒とかっていうメインの弟子じゃなくて、
イエス様が布教をしていた時に周りに大勢居た取り巻きのひとりだったんですよ」
とおっしゃっていましたが。

でも、イエス様も当時16歳だった私を可愛がってくださったとのことで、
私はイエス様に完璧に恋をしていたそうです。

そうか、そうだったのか。と、雲を突き抜けたような感覚がありました。

私には信者としての生活をキッチリ守り抜くといった難しいことはできなくても
単純に人や世界を愛する気持ちを持っていて、それだけでいいんだよ、と
言われているような気がしました。

何より、拒絶されていたのではなく、可愛がってもらえてたんだ!
と思えるようになった事が大きかったのです。

あれからイエス様に関するシンクロが続いて起きていますし、
以前にも人から同じようなことを言われたこともあるにはあるのですが、
まぁ2000年も前のこと、しかもイエス様に可愛がってもらったなんて途方もないことです。

でもたとえこれが嘘や、ただの勘違い、という類いのものであったとしても
モヤモヤがなくなって、前へ進むことができるようになった、というだけでも
私には大変良いこととなりました。

なので、その先生の瞑想会にはなるべく行きたいなと思っているのです。


科学がすごくすごく進歩したら、人の「思い」も物質だったとわかるんじゃないかな。
思いって、目には見えないけど強いエネルギーを持っていますよね。

悲観したり、自分を卑下したり、胸がギュウッと辛くなるようなことは
できるだけ頭から追い払いましょう。

人はみんなひとりひとり。でもみんなつながっています。
お部屋でひとりで考えることも、この世界に影響してしまうのです。

どんな人のこともどんな事柄も優しい気持ちで、愛情を持って、
思うようにしましょう。

自分自身と、キライな人にこそ、ホ・オポノポノを唱えましょう。

「ありがとう」「ごめんなさい」「許してください」「愛しています」が合い言葉です!!



実際に瞑想する時はなるべく何も考えないようにするのですが、気持ちはそんな気持ちでやってますw。

みなさんにもおススメです!!