多くの人が、多くの場面で相対的な価値観で判断をしています。

何か(誰か)に比較して、自分(何か)は劣っている。

もしくは、

何か(誰か)に比較して、自分(何か)は優れている。

という価値観。

それは比較する対象が変われば、自分(何か)の価値も変わってしまう

絶対的なものではなく、つねに状況によって流動するものです。

Aさんに比較すれば恵まれているけど、Cさんに比較すると劣っている、と

誰かと比較した幸せは、たぶん本当の幸せではないということです。

ヒトはとかく何かと比較しなくては、そのものの価値を見いだせないようで

自分にとっての絶対的な価値、つまり、真の価値を見失いがちです。

生きている間、この真の価値に出会えない人もいるかもしれません。

真の価値とは自分の中にあるもので、目に見えるものではないけど、

実現しようと努力できるものです。

誰にも真似できない自分だけの使命、自分のやるべき道に存在するものです。



じつは最近、絵を描いていくことにある疑問を感じて、先に進めずにいました。

それは団体(美術団体)に所属するが故に生まれる疑問です。

団体という得体の知れないモノは、

右に倣えを良しとして、飛び出た頭は叩かれがちです。

団体の役割とは、その人(自分)にできる事を見つけるのでなく、

飛び出ないために、その人(自分)にできないことを足していけと奨めることです。

膝を折る引き換えに、何かの折に推してもらえるメリットはあっても

いつまでも抜け出せない、飛び出れば指差しされ、

いつまでもこれが足りない、あれが足りないと足止めをされる弊害がつきまとうものです。

自分に足りないものを探しているうちに、きっと人生はあっという間に終わってしまうでしょう。

常に監視され、そのかわりに保護されるこの環境を

放っておけばいつまでもぬくぬくと過ごしてしまいがちな右に倣えのこの環境を

どうすべきか、ずっと考えていました。



『幸せなのは、例えば神さまのような絶対的な力が自分に映してくれた夢を実現できること』

つまり、答えは自分の中にあるのです。

足かせと感じたなら、抜け出し、自分で自己実現を目指す。

なにを言われようとも、何も躊躇うことはないと今日気づいたのです。