あんなことがあって以来

じつは少々くじけていた。

あんなこととは

責任を全うできなかったことへの苛立ちでもあるし

自分の不甲斐なさを再認識したことでもあるし、

判断を誤ったのではないかという出口のない後悔の念だ。

あなたは悪くないと言われるほど申し訳なく

いまの立場は私には重すぎるのではないかと

もしかしたら、いまが思案のし時ではないかと

心が膝を抱えていた。



ことの成り行きを報告するまでは

一歩も前に進めないことも分かっていて

逃げ出したいほどの気持ちを引きずったまま会議に出ると

仲間はあたたかく迎えてくれた。

小さな団体が抱える些細なトラブルなど知らず

いつも通り気さくな態度で接してくれる社協の方々にも救われた。

顔を出せば私の名を呼んで、

団体を気遣ってくれる人たちがいるのだと

多くの人に支えられてここまで歩いて来れたのだと

みんなと歩んできたこの数年は

既にかけがえのないものになっているのだと

改めて気づかされた。

たったひとつの後悔で、これをたやすく手放してはいけないのだ。



人生、浮いたり、沈んだり、だ。

沈んだ時はひとりもがくのでなく、

心許せる相手に素直に「まいった」をすればいいのだ。

手を差し伸べてくれる人はかならずいるし、

話を聞いてくれる仲間もいるはずだから。

それを積み重ねて、少しずつ育てていくのが

人生なのかもしれないから。



 今日であうすべてのものに乾杯。