秋晴れではなかったけど、
紫外線に眉根を寄せてしまう年頃には心地よい曇天。
さくっと『江戸の水の道めぐり』に出かけてみた。
文京区に関口という地がある。
神田上水を神田川に分水する堰があったために
そう名付けられたという説もあるらしい。

歩いたのは、その関口台地の南斜面、
神田川沿いに続く細長い江戸川公園。

時折うしろを振り返りたくなるような
ひんやりとした空気の中を先に進んでいくと、
大洗堰跡があり、こう書かれていた。
『大正八年、東京市はこの地を江戸川公園として整備し、
史跡(大洗堰)の保存に努めましたが、
昭和一二年になり江戸川(神田川)の改修により失われたので、
翌年、堰の部材を再利用して由来碑を建てました。
左の碑文は、その文面です。
由来碑はすでに失われましたが、近年この碑文のみが
見つかりましたのでここに設置致しました。』

その由来碑についての碑文の最後には確かに『東京市』と刻まれていた。
東京市とは昭和18年まで存在した、現在の23区にあたる地名。

関口が少しずつ変わっていく様子が分かる
ちょうどいい資料があったので参考までに…
『文京ふるさと歴史館』
それからまたしばらく進むと、少しひらけた空間。
子どもたちの声が響いていた。
彼らが遊ぶ石組みの池の向こうがわは、
切り立った丘になっていて、
斜面に沿ってつづら折に階段が設けられていた。
丘の向こう側は椿山荘のある目白通りになる。
丘には登らず、しばし神田川沿いを進んでいく。
そのうちに遊歩道は洒落た塀と外灯に彩られ、少し景観が変わってくる。
そのまま進むと、知る人ぞ知る椿山荘の裏口、冠木門。
その先には関口芭蕉庵。
芭蕉も神田上水の改修に関わったという。
石枯れて水しぼめるや冬もなし
松尾芭蕉