受験生だった頃、
「英才教育受けてるワケじゃないんだから、さっさと止めてしまえ」
という叔父のひと言で、
私は15年もの間付き合ってきたピアノから解放された。
人生で大切なのは、自分のやりたい事を知っている事だ。
と、いうことも知っている。
何のためにやっているのか目的がないなら止めてしまえ。
という言い分も納得できる。
ただ、いくらやっても道が拓けず、他人にとかく言われ、
それでも自分にはその道しかないのだと思っている場合は
どうすればいいのだろう。
幼い頃、努力は報われるものだと教わってきた。
こつこつ続けていれば、目標に辿り着けるのだと信じていた。
でも、人生はそう甘いものではなかった。
辛抱強く、努力を続けて続けて、欲しいものに手を伸ばして
そのくり返しをしている内に、
どうやっても努力の報われない運命がある事に
ようやく気付いた。
何かを手に入れた実感を持つ人は言うだろう。
努力は報われるものだ、と。
だから努力が足りないのだ、と。
努力の矛先が間違っていたんだろう、と。
だとすれば、その通りなんだろう。
私には努力が足りないし、その矛先も間違っているんだろう。
でも、
日々、一生懸命にやる事に息切れしてしまった。
時間の経過は、届かない星に手を伸ばし続ける事を、
ひたむきさ、だけでは解決できなくした。
そしていつしか
ひとり躓き、ひとり泣き、誰にも打ち明けられないまま
どうしようもない孤独が巣食ってしまった。
そこまで叶わないなら止めればいい。
とも思うが、
夢を追いかけるのを止めるのは、息をするのを止めるのに等しい。
これまで何とかなるはずと信じて努力を重ねてきた自分が
世の中から居なくなる、という事だが、
それは、まだできない。
どんなに価値のない生命体でも、あと十年は踏ん張って生きる。
我慢も努力も報われない運命もあると分かっているけど、
生きることがせめての責任だと解っているから。
明日も生きる。前を向いて。