穏やかな冬の日だったので
九段下から目的地まで歩くことにして、
少し先にある俎橋をぬけて行こうと思った。
まないた橋。
飯田橋界隈は江戸城下で料理人が多く暮らしていたため
そんな名がついたらしい。
しかし大通りを歩く気分でもなかったので
ひとつ手前の路地を曲がった。
ふだんからよほど慎重な道案内でも頼まれない限り、
大通りを避け、路地裏を選んでしまう。
なぜなら都心の表通りは再開発が進み、
コンクリートの巨大墓石が立ち並ぶばかりで味気ないからだ。
裏道は、思いがけない場所にひっそりと
石枠の窓を持つようなレンガ造りの家が残っていたりして、
その佇まいにほっとして、いとおしさすら感じられるのだ。
逍遥のうちにふと、見覚えのある店の看板に立ち止まった。
あれはいつだったか。
友人のご主人が心を病んで亡くなったという話に
不覚にもとめどなく涙してしまった午後があった。
話を聞かせてくれた人も今はどうしているのか…。
人生足別離、か。
それから10分ほど歩いた神保町のすずらん通りで、
美しい女性のモノクロポスターに誘われるように
神保町シアターの前まで足を伸ばした。
その冬の木漏れ日のような美しさは、
若かりし頃のある女優の姿であった。
コノサカヅキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
(井伏鱒二『厄除け詩集』)