こんな私でも何とか仲間を連れて6人名古屋へGO~
6人のリーダーとして頑張りました。当時住む所が無かったので全員でビジネスホテル住まいを3ヶ月。楽しかったですね!知らない土地で生活するのも。
名古屋駅裏のちょっと危ないビジネスに泊り、全員で電車に乗り勤務先へ・・・
名古屋の地下鉄は初乗り運賃が高く、またローカルモード全開の地下鉄
余りの本数の少なさと、一路線が長い事にびっくり!
初乗りがたしか当時¥260かな~?笑
仕事内容は現地の配膳会と東急の社員に挟まれる微妙な立場
出過ぎれば怒られ、配膳会と一緒に仲良くすれば準社員なんだからと・・・
ホテル勤務では黒服として勤務できることが、東京では絶対出来ないことではあったが・・微妙
社員の仕事は東京で配膳会として勤務していた私たち6人は、全員が一斉に準社員
そりゃー勉強しなきゃついていけないことも多々ありましたが、東京に比べ男子スタッフが圧倒的に少なく、殆ど女性スタッフがメイン。
女10に対して男3程度 まさに女性の街?
て事は、笑勿論いろんな恋愛もそこから発祥します。可愛い娘が多かった
半年も勤務したころ各自配膳会側が個々に部屋を借りてくれることになり、そこから生活スタイルが思いっきり変わりましたね!
私は名古屋駅から歩いていける栄生(サコウ)と言う駅前で新築8階たての最上階のワンルーム
大日本時代からの一番の親友は栄地区にあるマンション
他配膳仲間は、東京で言う広尾(金山)とか 千種とかに散らばり個々の生活がスタートしてました
勿論彼女はでき、悪さもし、仕事どころじゃなかったですね!
ただ、名古屋と言う街は狭くてどこに行っても、何をしても必ず知り合いにあってしまう事が難点でした。プライベートが無いんですよ!
夜イチャイチャして道を歩けば、タクシーで目撃されたり、とまー凄い街でした。
勿論ホテルマンである私たちは、お客差からも同じく言われる事が多く、ホントやりにくかったですね。
皆さん、名古屋を舐めちゃいけませんよ!笑
いまやAKBなどで知らされる事で知名度もUPしてますが、当時は何にもない状態。
名古屋の繁華街栄町は面白い!
これといって目標もなく雑誌で見かけた日払いアルバイトへ・・・
見つかりました!深夜のアルバイト!

市ヶ谷に本社のある日本の大日本印刷大企業
当時夜8:00~朝9:00までの深夜バイトで日給¥7000
土日祭日は¥8000
一人で応募一人で勤務泣
面接は直ぐ受かり、これといって知識も要らない
勤務当日、やっぱりそれらしい人物しか居ない!(°∀°)b なんか人生終わった感じでした。
私は製本工場に勤務(雑誌の中身を区切られた枠で取り出し、結束機で結束し他雑誌をパレットに積む、この作業が簡単ではあるが勤務中の仕事
さすがに知識はいらない(^∇^)
しかし、楽しいのは2.3日 後は日給欲しさに毎日通うだけのボンビーバイター

毎晩あの市ヶ谷の橋を渡るたび人生終わったと思いつつも、毎日通ってる自分が情けなくなるが、もらえる日当欲しさに通いだらだらした人生を送ってました。
勤務中誰としゃべることなく、またしゃべったとしても相手は返事をしない変わったやつらばかりで、仲良くしようとも思わない人間ばかり!
腐ってました、自分も
回りも唯一楽しみが昼休み(勿論午前0時が夜勤のお昼)
栄養付けなきゃと食べる焼肉定食¥380 カレーライス¥280
今じゃ考えられませんね笑

しかし、友達も出来ず一人で課ベル毎日が続き、いつしか(2.3ヶ月経ったころかな?)
話しかけてくる人が居ました。
毎日来てますよね?
おいおいなんぱじゃないんだぜ?と思いながら話し込む
当然相手はメガネをかけたアキバ系男子今で言う
その日はそうだね!で!何?とつっけんどんに話をして、なんら仲良くなることも無く終わったが、何故か私が出勤してるとその男子もいつも昼に会うことになり。勿論話しかけてくる・・・
話をしてると彼は、海外から帰ってきて就職できず大日本のアルバイトをしながら日々就職活動をしてるとか?
俺より偉い!

なかなか就職も決まらずで俺より大先輩で印刷工場に勤務中でしたね!
人間面白いもんで、毎日顔を合わせてると話も流れ、気も落ち着き、仕事終わりには一緒に遊ぶ事までするようになってました。
同じく自分でも一緒に製本工場で一緒の組になった同年代の若者とは自分なりに友人になってましたが、このバイトで友達が出来たのは2人でした。
そんなアキバ系俺は一足先に仕事見つかったから今日が最後なんだ!男子がといってきた
俺と別の友人がおめでとうと言うと本人はありがとう・・・
で、何の仕事が見つかったの?と話すと、続くかどうかわからないから言わない・・・だって
もし、続くようなら声かけるからねといってくれたが?・・・
次の日からは残された私たち2人で遊んで仕事して、お互いの家まで遊びに行ったり泊ったりの関係が3ヶ月も続いたころ、先に辞めたアキバ兄さんが昼休みに声を掛けて来た!笑
あれー辞めちゃったの?と言うと
いやはやなんと!俺たち残り組み2人を誘いに来てくれたんです。その内容とは・・・
寒いときには暖かく、熱いときには涼しく、着るものにもお金は掛からない、食事も無料
こんな仕事があるんだけどどうかな~と・・・・
問題は髪の毛だけなんだよね!
7:3にしないと駄目なんだと、きたもんだ!
しかし、俺ら2人は即答でしたね。
イクイク!なんでもする。夜の地獄の市ヶ谷から逃げ出したくても方法が見つからず、日銭が入ることだけで満足してた2人
当然ですよね!持つべきものは友と思いました。(はじめは気味悪かったやつでしたが)
翌日面接に皆で待ち合わせして出向きました。
お金も無いので床屋にもいけない私たちは、2人で髪の毛をハサミで切り合い。
情けないです。ホント!

何とか2人とも面接は合格でした。
で、何の仕事かと言うと、これがなんとホテルマン(配膳会)
いやはや、びっくり!なーんにもわからず度素人ですから!
私はお金を貰いながらテーブルマナーも覚えられ、美味しいものも食べられ、と好都合でした。
家が貧乏だし、レストランなんかで食事も出来ないしと思っていた分、絶対身に付けてやると思いながら勤務しました。
結婚式の配膳、各種パーティーの配膳、国際会議の配膳、各社業界の発表会等の配膳、ディナーショー、クリスマスディナーショウ、発表会、記者会見等様々な体験をさせていただきました。
勿論先輩には殴られ、蹴られ、無視され、いじめられ
そんな事は日常茶飯事でしたね。
仕事を覚えるまでが1つの区切りかな?
一緒に行った後残り組みの友人が結構人気者で、私よりメキメキ仕事を覚えてました。
私は幼児期から親の目を気にして生きてきたせいか?やたら他人の目つき(目線が)気になり
打ち解けないぼんくらになってましたね。
仕事中トレーを持ってウエルカムドリンクを1.5時間立ちっ放しで持っていたら、腕の力が無くなりトレーごとガッチャーン
結婚式ではデザートサービス中、お客様の方に生クリームをペチャ!とか
着物を着てる女性の膝に赤ワインをポトンと一滴汗
まー失敗は数知れずでした。
その度始末書。

勤務は時間が決まってなく早番、遅番のパターンで組まれ3人ともばらばらでしたが、
私たちが誘われて勤務しましたが、誘ってくれた秋葉兄さんは1年後に辞め又海外へ飛んでいきました。
結局紹介された私たち2人はそのホテルに3年勤務することが出来、私も仕事が出来るようにも育ってましたね。笑
名の知れた知名度の有る、皇居前パレ○ホテル!ん^^^^やったね!って感じ!
3年目にして事務所から出向の話がくる事になりました、
内容は6人一組で、名古屋の東急ホテルへ行ってくれと。
オープンしたてで人手不足なんだと!で、東急の社員のヘルプをして欲しいとの出向願い。
1年契約で1年後またこっちへ帰って来てくれとの内容でした・・・・
さてさて長くなりましたので続きはNEXT・・・・・・・・・・・・・・・・・・
さて、さて長い事お待たせいたしました。
では、新宿バイト時代の幕開けです。
当時の新宿はまだまだ活気があり、今の様にホストや外人が多く居る時代ではなく、ぞくに言う昭和の時代まっただ中!ヾ(@°▽°@)ノ
あたり一面(やくざ)だらけの怖い街でしたね=![]()
当時私は17歳
嘘の履歴書で深夜喫茶でバイトをしながら生活をしており、夜9:00~朝9:00の12時間労働です。
いやー楽しい毎日でした。
当時はDISCO(今のクラブ)が深夜朝5時まで営業をしており、深夜喫茶は朝5時からが大忙し!
カップルや!男同士、いろんなお客が居ました。
私は当時白馬車&ミカドと言う喫茶で働き、調理等も作って提供していきながら、ホールも手際よくこなしてました。
当時のそこ喫茶店の店長さんがとても好きで、男ごごろに火がともりました。
まーこれが悪の道の伝道師だたんです。泣
当時場所柄やくざやさんが商談や脅し、密会等でよく店を使い、どこの喫茶店もやくざが居ないことは無い時代。
そんな中、とあるやくざモンが、私の身につけてる指輪(当時15万円)今だとたぶん30万くらい?に目をつけ、一日貸してくれと言ってきた。
勿論お店の常連さん。
彼女から貰った指輪だから無理ですと言うと、なんだこら!でたでたやくざ特有の脅し!
散々断ったんですが、さすがに私も怖くなりこんな顔で対応しちゃいました。![]()
3か月待っても返してくれない為店長に相談。
ぎょえー!
なんと!なんと!なんとなんじゃこりゃ=の世界
その言い寄ってきたやくざは店長の兄貴分で、店長もやくざでした。
おいおいそんな落ち!?
結果お前もやくざになって取り返せばいいジャンの一言
当時歌舞伎町は東亜友愛◎◎◎◎と極東桜◎会が占めており、結果私は東亜友愛へ順構成員となり
新宿喫茶店の仕事をしながら、事務所で当番と飯炊きをやる羽目に・・・とほ!ほ(°∀°)b
今考えればバカな事も当時は17歳世間知らずもいいとこです。
組長からバッジも貰い、特攻服も着せられ新宿の街を風切って歩いてました。
Vシネー
なんか暴走族だのやくざだの、目まぐるしく動きすぎ!
そんなバイト時代も17.5歳で終了を迎え、やくざも辞め一般人になって地元に帰ってきました。
地元ではこれと言ってやることもなく、そんな暇な中
ご存知の通りたまり場の我が家に、違う地域の先輩がやってきてあるお誘いの話でした。
今度は竹の子族!
皆が知ってる有名チームの発足です。
沖田浩之 武浩二(清水宏次朗)等がいたチーム
踊りを覚え、メンバーを集い、雑誌やTV、ラジオのインタビュー等たいへんでした。
と言うかバカです俺
やりたいことやってるだけのどうしようもないあほですね!
知る人は今や少ないですが、当時ウィークエンダーと言う番組でよく取り扱われマスコミが毎日のようにうるさかったです。
こんな俺でも当時セブンティーンやノンノ・アンアンに特集を組まれるなど、田舎のおばちゃんには一緒に写真を撮るなど{プチ芸能人}をしてました笑
なぜローラーにならなっかったかは不明!
毎週日曜日は楽しかったですね=
バレンタインなんかチョコの山々です。当時沖田と清水とは仲が良く遊んでましたが彼らは当時からモテモテでしたね。
今や死んでしまったのとVシネと道は分かれましたが、当時は携帯もない時代です。
自宅電話でよく毎日のように話をしてました。
沖田は当時ヒーローと言うチーム
清水は忘れた笑
私は模奈利座(モナリザ)サブリーダーとして総勢250名の大規模チームでした、すげーべー笑
いまだに名刺を持ってるやつは持ってるだろーなー?
丁度竹の子も下火になりかけたころ、あの一世風靡が参加してきまして、いじめに行ったもんです
あー見えてもホコ天の決まりがあり、新グループは当時の元祖チームのリーダーに一軒一軒挨拶に行かなければならない決まりなど多々あり、彼らはその挨拶もなくいきなりスタートです。
周りは怒りでしたね!
今思えば、私もあの柳葉を蹴飛ばしてました!クーーーーーーーー
サイン貰っとけばよかった!(^∇^)
哀川翔 柳葉 勝俣 白竜 今や人気もんです。
田代まさしです!これはがは!。。。
マザコン、暴走族、やくざ、竹の子族と渡り歩我人生はとうとう社会人の世界へと走り始めます
次回バイト→社会人→との話を記載します。
お楽しみに・・・

