昨日は僕の疑問にコメントをいただき、ぽてちさん、ありがとうございました。

再々発で3回も手術されているとのことで、大変な思いをされてきたのではと

拝察いたしますが、ブログを拝見し、日々力強く生活されている様子、

勇気をいただき、感謝申し上げます。

 

先日、母のことを書きましたが、今回は父のことを少し。

 

 

父は、昭和45年9月に33歳で亡くなりました。

母は30歳、僕たち兄弟は5歳、2歳、0歳でした。

亡くなった原因は舌癌。

子供の頃に熱いものを飲んで喉の奥をやけどをし、

それが成人してから癌化。

僕が3歳になるくらいからは入退院を繰り返していました。

 

 

母の実家が神道系の教会だったというのは先日書いた通りですが、

父はその教会に住み込んで、別に仕事を持ちながら教会の仕事を

手伝っていました。

元々は、父の妹が血液系の思い病気となり、その病気を治したいとの

強い思いで、祖母が入信したのですが、妹思いの父もその思いに応え

教会の仕事を手伝うようになりました。

 

そこで父と母は出会うのですが、

当時母には周りが勧める相手がおり、父は母への思いを抱きながら

毎日葛藤していたようです。

 

 

これは、母が亡くなってから遺品整理をしている際に

父の当時の日記の一部が見つかり分かりました。

息子としては、どれだけ父が母のことを想っていたのか、

そして亡くなる間際の母の言葉からも、母もどれだけ父のことを

愛していたのか、父がなくなり50年たっても変わらない想いでいたことを

知ることができ、僕の胸にも熱いものがこみ上げてきました。

 

下の弟ができたと診察された際にも、

父の病状を知る医者からは、産まないほうが良いと言われたそうです。

車の中で僕と弟の面倒を見ながら待っていた父に母がそのことを話すと、

普段は絶対に怒らなかった父が、「それは俺が死ぬからだと思っているからか。

お前のおなかの中には生命が宿っている。その命を殺すのか。」と

激怒したと母が話してくれました。

母は、ちゃんと産めてよかった、兄弟3人いてくれてよかったと、

自分の病気が分かってから僕にそう言ってくれました。

自分が病気だからこそ、命の尊さが分かっている、そんな父の思いでしょうか。

信心深く、人を大切にする人だった父の人柄が分かる話でした。

 

教会で育ったということもあるのでしょうか、

特定の宗教を信じているわけではありませんが、

僕の周りにはいつも神様がいて、父がいて、そして母がいてくれる、

病気になってからはそんな風に感じることがよくあります。

大切な人たちが自分の周りにいて、自分を見てくれている。

だからからか、「死」というものに対しての恐怖感はありません。

もちろん、今現在大切な人たちが僕の周りにいるわけですから、

その人たちの残して亡くなるのは、できるだけ先延ばしにしたいと

そう思っていますが、「死」は輪廻転生するなかで、

自分が成長していく過程の区切りなのかと、

ちょっと宗教的なことも考えています。

 

次に生まれ変わってくるときには、もっと人として成長しているのでは、

そう思うと不思議な感じになります。