皆さまーっすぽんじボブ

 

おはようござりますーっにわとり2

↑この時刻はもう過ぎますたよぉーっぽげムた 嬉し泣き

 

 

 

 

あなたの絵や作品に言の葉を添えます

楽しい絵画鑑賞のお話、させて頂きます 

の葉」

ヴィオ・優美でございます・・。

 

 

 

 

 

さて・・。

 

 

「ダリ展」プチレクチャー付き美術館同行歩く

 

 

やや(やや...ショック!?

時を経てしまいましたが、

霜月ラストのフライディ、(月をまたぐなよーっ亜友未

お陰さまで、なんとお四方の素敵な

レディース靴の皆さまにご参加いただき、

無事に楽しく、実りいっぱいで、

終了することが叶いました・・にこにこきらきら

 

 

  サルヴァドール・ダリ

 

 

   (画像、ウィキペディアより引用)

 

 

その昔、無敵艦隊を擁し世界を駆け巡り、

我が世の春を謳歌した時代もあった、

(ゆえに、遠き南米であっても当時、この国の統治下にあり、

今もその言語を繰る地が多くあるのですよね・・わん

 

南欧の日差し眩しき、

スペインはバルセロナのある、

カタルーニャ地方の海に近い地で、

今から約110年ほど前に生を受け、

 

自身の誕生の少し前に夭折した兄と

同じ名を付けられ、

(その名がななんとサルヴァドール

その意はこりまた”救世主”にござりますよ・・涙

両親の部屋にずっと、ずっと飾られていたその

幼い兄の写真を見つめながら、

 

自分は亡き兄の身代わりである、という、

想いが恐らくついぞ生涯、消えることなく

彼の心の中の深い闇に巣食い、

自身の存在を、どこでどう表現してよいか、に、

どれだけの苦しみを抱えたであろう、

今にもポキリ・・と

音もなく折れてしまいそうなほど

繊細な心と、

幼い頃から突出した絵画描写の技巧を

持ち合わせていた紅顔の美少年が、

 

 

唯一の心のよりどころであった、

どこまでも優しかった最愛の母を17で亡くし、

 

その後、進学したマドリッドの王立美術学校の

学生寮で、

彼らもまた突出した才能を持ち合わせていた、

のちの映画監督、

のちの詩人との出会い、交流を経て、

 

 

「シュルレアリスム」

 

 

と呼ばれ、今ではすでにどこか

耳馴染みのある、

”シュール”という和製英語に

なってはおりますが、いわゆる、

 

”現実離れした”や

”非現実的な”という、現在、

おおよそ捉えられている

意味合いとは本来は異なっていて、

 

「目に見えない現実や、

見えている現実との矛盾(違和感)を突き詰めて

『真の現実』に触れることを目指し、既成概念に

とらわれない、夢や無意識の純粋な世界を

掬い取って表現しようと」

した運動であったのですが、

 

(何度もなんどーーーも読みかえすんじゃけど.....

わかりそーになると...またクルリっぐるぐる...と、そのイメージが

どこかへ消滅してしまって...われら凡人《←誰やっ?! 

のちほど登場いたしますーっスポンジボブ

にはかかか、解釈がっ・・orz

 

 

・・そのさなかに誘われ、そして身を投じ、

その表現力、画力で、

シュルレアリストの画家として

みるみるうちに頭角を現し、

 

そして女性に対し、

強い強い恐怖心を抱いていた彼が、

その仲間うちのある詩人の妻と、

生まれて初めての、

激しすぎるほど激しい恋に落ち、

ついぞその生涯の伴侶となる、また

夫のプロデューサーとしても名手であった、

ガラと結婚するに至ります。

 

時にダリ25歳、

ガラ、35歳。

 

 

  (画像、ファッションプレスより引用)

 

 

 

 

・・・・・

 

 

嗚呼---っ亜友未亜友未

 

まだまだお話、続けたいざますーっ←またでた

 

 

・・そのような感じで、

その時々、

ダリが6~10歳の頃に描いた油彩画から、

思春期の頃の、ツンとすました自画像、

 

また、まだ当時、印象派の画家の幾人かが

存命であったこともあり、

点々と、木の葉の合間からもれ出でる

日の光を表現した印象派的な画風のもの、

 

そして彼の才能を非常に買っており、

さまざまな援助も惜しまなかった、

ダリ自身も敬愛していたピカソの作品を

模した画風のもの、などから、

 

多岐多彩な(ほんっまにそのとーりだったとですよーっ亜友未きら

奥さまーっサザエさん あまりの作品層の厚さにっ・・喜びでめまいくるくる

でそうでしたぁっ泣くびっくり

今回の出品作にいたるまで、

 

 

その時代その時代に

ダリのおかれていた状況、

周りを囲んでいた人々の様子、

そして彼らからの、また世間からの評価、

そこから得られたステイタス、

・・その頃から夫への態度が徐々に

変化してきた愛妻・ガラのこと・・

 

 

そして、

 

二度の原爆投下をともなった、

第二次世界大戦の体験・・。

 

 

・・と、その後、まだまだ続く、

84歳、と比較的長命であったダリの

人生を、駆け足ダッシュでっ・・と

思っておりながらもっは?びっくり

 

 

途中ですっころび転んだ

またヨロヨロと立ち上がっちゃー

脱線脱線ねし、

笑ったり胸をじんじんとさせたり・・

・・ってな塩梅にて、

まったく駆け足にならずに、

予定時刻をオーヴァーしてのレクチャー終了・・orz

(このことは、以降の課題として、しかと検証いたしますです・・)

 

 

・・などなどの話を絡めながら、

作品をご覧頂きながら、

レクチャーをさせて頂いてのちの、

皆さんとの作品鑑賞・・にこにこきらきら

 

 

その作品たちも、

 

ダリの作品への評価でよく発せられる、

 

 

奇想天外

気味が悪い

なんだかさっぱりわからない

いっつも写真がヘンな顏

(ホントはとてつもないイケメンなのにっパパヒヨ ヒェーきらきらハートきらきらハート ←そこにこだわる人

 

 

などなど・・

 

 

展示されている作品たちは、

何ら変わることなく、

 

産みの親である画家が、あの

くるりんヒゲとした髭をこちょこちょと

いじりながらも空の上で、

かように遠い極東の地の美術館内を

嬉しそうに優しく(多分きら

見守ってくれていることに

安堵しているかのように、

静かに壁にかかってくれているのですが・・

 

彼の辿ってきた人生を知り、そして

感じながら、の鑑賞では、

 

まったく・・

 

まったく・・

 

まったく・・

 

違った世界に、色彩に見えて来て、

 

 

その画面に現れるモティーフの

不可思議さ、

気味の悪さ、のようなもの、感覚に

ついつい、

押し流されてしまいそうになっていたところに、

 

新しい扉がぱぁーっと開いて、

ダリが嬉しそうに招き入れてくれる・・

そんな情景が浮かんできて、もう、

楽しくて仕方なくなって参りました・・にこにこびっくり

 

 

 

あれはなんだろう?

ああ、あの頃のダリはこんなだったから、

きっとあれはあれなんじゃーないかな!?

あ、そーかっすぽんじボブそーだわねっビックリ

 

・・んー、でも私にはあれに見えるわっびっくり

あらっムンクの叫び ほんとだっ涙きらきら

 

アゲなんのこっちゃおたふく

 

 

・・その場でご一緒した皆さんとの会話は

こんな感じで、

 

”嗚呼っビックリこらぁ、

ダリ本人に聞くしかないわねっびっくり

ダリィィィーッヒゲカムバァァァーークッパパヒヨ ヒェーきら

 

 

・・などと、もう楽しくて楽しくて

仕方ない、心が満ち溢れたひと時・・

ご参加の皆さんのお気持ちも・・

そうでいらしたと信じています・・にこにこびっくり

 

 

長すぎ・・・・・怪人二十面相

 

 

其の弐、へ続かせてくださいませですーっパンダキラキラ

 

 

 

 

 

・・ん・・

 

 

誰・・・・

 

 

 

 

はいっ扇子3

 

          

 

 

さきほどから、

ちーーっちゃくにこにこ登場しとりましたがっすぽんじボブ

 

 

 

彼女につきましてもっ

もーっは?キラキラ

 

次回ブログにて発表いたしますねーっひよざえもん ラブラブ

 

ここここここっこ鳥 こうご期待ぃーっ燃えるびっくり

 

 

 

相変わらずっ・・・

 

 

 

長っ・・ろくろくび

 

 

 

本日もご訪問、本当に、

どうもありがとうございました・・にこにこきらきら