あの日から遡ること2ヶ月前くらいから耳鳴りが続き、2週前くらいから鼻の奥というか目のあたりの痛みがあり、花粉症が酷いと思っていました。今思えば体感だったのだと思います。


あの日、午前で仕事を終えて親友と2人で遅めのランチと買い物をして、ムスメ達(小学三年生)の下校時間に間に合うように帰宅するつもりでスタバでお茶しようとしてました。


コーヒーを頼んで座席に着こうとしたときにカタカタと揺れだし、近くの座席の女性と「あら、地震・・・えっ‼️」この瞬間激しく揺れだしました。親友や居合わせた他のお客さんは何人か即座にテーブル下に潜りましたが、コーヒーがテーブルから溢れてコートのフードに流れていくのを見て、呆然としていた若いアルバイト店員たちに「避難経路確保、ドア開けて」と叫び、商品棚近くの人たちを壁側に誘導し、「発火するものがあれば電源落として」と何故か私仕切ってました😅➡️後に親友がこの時のことを別の友人に話したら「その人(私)非番の警察官?自衛官?」て聞いてきたらしい😂


と、パソコン💻開いていた男性が「震源は東北、津波警報」と店内全員に聞こえる声で情報発信。


余震も多発するだろうからムスメが心配、すぐに帰らなくては、と親友と2人で店を出て、こういう時は現金が必要だねとATMで現金50000円ほどおろしてから駅に向かったがシャッター下ろされてしまい💦

しかも駅前で泣き叫ぶ聾学校の児童が10数人。下校サポートしていたスタッフさんだけでは手が回っていなくて私とママ友(当時小学校サポーターしていた)がなんちゃって手話🤟と筆談で余震の説明し、なだめていたら聾学校の先生がたが駆けつけてきてひとまず学校に連れ帰って預かりますと言ったのでその場を離れました。


親友と私はお互い反対方向に自宅があり、一緒には行動できない、しかし、2人とも携帯の充電が怪しくてまずは駅前にある親友利用のdocomoへ行くと既に外にいろんな機種の充電器を出して充電サービスをしていたので預けて次に私が利用していたauに。充電を頼むと機械式充電器が(5台分くらいしかない)いっぱいだから無理ですと断られ、docomoの対応を話すと「よろしかったら奥でスタッフ用の充電器で取り急ぎ充電しましょうか」と言ってもらえました。このとき自分さえよければの精神状態でした。でもこれのおかげでムスメの安否を知ることができたのです。


充電完了して携帯を見ると10数件のメールが。ほとんどがマンションママ友からで

ムスメちゃん学校から引き取ったよ、心配しないで安全に帰ってきて、なんなら夕飯食べさせて泊めるからと。ありがたかった。親友の方も近所のママ友からメールでやはり安否を知らされてホッとしてました。

実家の父とはスタバにいる間に一時的に電話がつながり、無事を確認、しかし母とは連絡できず。関西に住んでいた妹に何度も母と連絡とれるまでコンタクトとってほしいとメールしましたが妹の携帯はソフトバンク。あの時一番通信状況が悪くて一向に通じない。3時間ほどしてから妹の家🏠電話からの着信があり、東北関東がやばいことになっていると聞いて仕事切り上げて帰宅した、母への連絡は自分がとるからと引き受けてくれたので任せた。結局母は友達と銀座の帝国ホテルでランチして解散しようとしていたところだったということで、帰宅の足を奪われていたらしい。夫は会社の車で営業先から戻るところで地震に遭遇。やはりムスメを案じていて何度も私に電話を試みたが通じたのはもう暗くなってから。妹とも連絡取り合い、母を車で拾ってくれると言って普段なら15分もあれば行けちゃう場所にいたのに母を拾うのに2時間かかったらしい。さらに実家には3時間近く。その日は実家に泊まった夫でした。コンビニも品がなく、カップ麺しかなかったそうだ。


結局私たちはそれぞれ徒歩で帰ることにしてコンビニで水とチョコレートを買い、お互いの無事を祈りながら帰路につきました。


すると同じ方向にあるく女性がいて、どちらからともなくら声を掛け合うと割合自宅同士が近いことがわかり、一緒に歩きました。そこへマンションママ友から着信。

「今どこ⁉️🚙で迎えに出たから反対車線側歩いていて‼️どうせ道路詰まってるから見つけられるはずだから」と。なんとありがたい🙏その人はマンションママ友たちに声かけて通信役、ムスメの預かり役、私の安否を周りに知らせる役と割り振ってから私を拾いに来てくれました。果たして無事会うことができ、一緒に歩いていた見知らぬ女性をも一緒にのせてくれたのです。


帰着したのは22時をまわってました。ムスメと会って2人で抱き合ったのを覚えています。ムスメは私に会ってホッとしたのか自宅に着いた途端眠気がきて服のままベッドに潜り込んで眠りにつきました。


私は始終鳴り続ける緊急地震速報に目が冴えまくり、もう開き直って一晩テレビをつけっぱなしにしてそのまま朝を迎えました。家の中はアップライトピアノが50センチ以上も動いていて、テレビはズレ、本棚から本がどさっと落ちていて、食器もいくつか割れていたし、笑えたのがお風呂とトイレの換気扇からホコリがどっさり落ちていました🤣揺らされて落ちたんですね。


夫の母と義姉にも絶対寝てないと踏んで真夜中に電話をかけ、無事を確かめ、夫にメールでしらせました。


朝、ガスと電気が使えたので急いでご飯をたくさん炊いて🍙を、有り合わせの材料で豚汁を鍋いっぱい作っておきました。夕方近くに帰宅した夫がかなり喜んでむさぼっていました。


あの日、東北の人たちに比べたら大した被害は受けていないけれど、それでも生涯忘れることのできない日であることは間違いない。人と人が助け合うことの大切さや有り難さを認識した日でもありました。