母は、とても花を愛する人だった。



中でも薔薇に惚れ込み、家の庭は

シーズンになると美しい薔薇の香りが漂う

ローズガーデンになっていた。




父撮影の庭の薔薇たち

(この頃、母の体調は庭に出れないほど悪化しており、

薔薇のお手入れもできなくなっていた。)




家の前の道路の花壇も、

自治会の人に頼まれて母が担当し

色とりどりの可愛らしいお花を植えていた。



そのお花たちはご近所さんのみならず

バスや車で通る人からも好評で

お花畑ロード」と呼ばれていたらしい。



寒くなる時期には、コキアを植え、

小学生たちは「スーモだ!」と喜び

赤く色づく時期には行き交う人が写真撮影を

楽しんでいたとご近所さんが言っていた。





また、ご近所さんに頼まれれば

喜んでそのご自宅にお花を植えに行ってあげるなど

お花と言えば母」という存在だったらしい。

(母が亡くなった後、母に植えてもらった花たちのアルバムを持ってきて見せてくださる人や、家族を連れてお礼に来てくださる方がたくさんいた)





   







季節が薔薇から紫陽花へと

少しずつ移り変わる時期。




「その日」は、美しい青空が広がり、

風もなく穏やかで、暑くも寒くもない

清々しい日だったと鮮明に記憶している。




私は

お母さん、多分今日だね。良い日を選んだな

と思った。




その日の夕方あたりから、

緩和ケアの先生にあらかじめ教えてもらっていた

お別れが近いサイン」が

現れるようになった。




母は私の息子の前では

元気で明るいババ」を最後まで

演じきっていたため、

そのイメージを守るために

息子はホテルに滞在していた夫に預けた。



お別れというと、

どよ〜んとした暗い部屋で

みんなのシクシク泣く声だけが響き渡る...

というイメージがあったが、

実際はこんな雰囲気だった。



淡いオレンジのライトの下、

庭から摘んできた薔薇や紫陽花や百合の

甘い香りがふんわりと部屋を漂い、

母が好きだった山下達郎やユーミンが

心地良い音量で流れる中、

家族全員がベッドに横たわる母を囲み、

手を握ったり足をさすったりしながら、

「これまでよく頑張ったね」

「もう頑張らんで良いよ」

と話しかける。



今思い出しても、

温かくて優しく、

穏やかな時間だった。



これは全て、母がこれまで築き上げた

人徳ゆえだろう。



夜8時前、

最後に母は大きくふ〜〜〜と深呼吸をし、

天国へと旅立った。




私はその時に、生まれて初めて父の泣く姿を見た。


いつも子どものことを一番に考えていたんだぞ

と言っていた。





   




平均寿命からすると短い命だったと思う。



でも、私はすでに母から一生分の愛を

もらったと自信をもって言える。




わがままを言うならば、

もっと孫と遊ぶ姿を見たかったし、

もっと母の美味しい手料理食べたかったし、

私ももっともっと親孝行したかったけれど...






お母さん、

私は、生まれ変わっても

お母さんの子どもに生まれたいと

心から思うよ。




今まで本当にありがとう。




次に会えるのはずっと先だろうけど、

絶対に幸せな人生を歩んで

色んな話のネタを集めておくから、

それまで天国でガーデニングしたり

楽しいこといっぱいして待っててね!






終わり