認知症の初期から中期に入る頃までの母は人付き合いは普通にできていた。
デイサービスは週に1日のみだったので、それまでの週一回の卓球サークルは続けていたし、カラオケ仲間に誘われればカラオケに行っていた。
近所には認知症でデイサービスに通所していることは知らせてあったし送迎車には施設の名前が書いてあったが、卓球やカラオケの仲間には伝えていなかった。まだ体裁を気にしていた母が自分からデイサービスに通っていることは考えにくかったので、母が認知症だと気づいた人はほぼいなかったと思う。
県外に住む母のきょうだいにはアルツハイマーと診断されたときもデイサービスを利用し始めたことも伝えていた。
母の末妹(叔母)は元看護師で救急病院、老人病院に勤務していた。その叔母の娘はケアマネとして高齢者施設に勤務中だ。
本来なら頼りにしたい存在なのだが、専門知識や実務経験が身内に生かされるとは限らない。
介護者として未熟だった私は母の些細な間違えや失敗を『見て見ぬふり』すべきとわかっていてもつい指摘して母を興奮させてしまうこともあった。興奮させてからマズいと気づき、自己嫌悪に陥入ることの繰り返しの時期は長く続いた。
自己嫌悪に陥っている私に「今日は夕飯何にするの?」「何か飲む?」など、ケロっと何事もなかったように話しかけてくる母に腹立たしさを感じながらも母に救われている自覚はあった。
なんとか試行錯誤、手さぐり状態で毎日をやり過ごしていた。
ある日叔母から週末に母の顔を見に行きたいと電話があり、当時パート勤務をしていた私と叔母の日程が合わず別の日にしてほしいと伝えたところ、私がいなくても良いと言われた。
しかし、家事を殆どしていない母にいくらきょうだいとは言え準備もできるとは思えなかったし、接客のための買い物に行くと言い出したら面倒だった。客布団を干し、長い間使っていない客間と風呂掃除…パートで日にちに余裕がないし、とても母ひとりでは無理だと正直に話した。
叔母はあからさまに不機嫌な声で、
「姉に会うのにいちいちあんたの許可が必要なの?それからあんたが姉の財布を握ってるんだよね?◯◯(次女の娘)に小遣いをやりたくてもやれないって言ってたよ」
と、食ってかかられた。また次女か…と内心ゲンナリした。
母の通帳を預かることになった経緯を話し、孫たちの節目のお祝いやプレゼントは年齢で金額を決めたこと。三女の息子たちと同様に次女の娘にも母から渡していること。次女が母の面倒を手分けされても自分は見れないと断ってきたこと等々、言うのも馬鹿馬鹿しかったが一通り話した。
今振り返っても、介護がスタートして辛かったことは、叔母・叔父(母の妹・弟」に次女(私の妹)が事実ではないことを吹聴し罵倒を浴びさせられたこと。
そして、母の記憶の器にわずかに残されたスペースが次女の悪意ある言葉で満たされてしまったことだ。
※妨害シリーズは今後も不定期に続きます。